最近気になったこと、文明史的視点の欠如再び |
日本滞在中に政治が大きく動く現場に居合わせた。その続きで、こちらに来てから両候補の討論会をネットで見てみた。そこで感じた一番の違和感は、日本や日本人についての歴史的思索の跡が、一国の首相に感じられないこと。歴史と言えば、民主党の歴史と自分史だけである。先日の中西氏の言葉「生身の日本人」については当然のことながら敏感だが、それだけなのだ。そのため、背骨がないまま目の前のことに追われることになり、空気のような人気に寄りかからざるを得ない様子が見て取れる。この首相の支持率が高いという調査があるとのこと、今の日本人の心象風景が見えるようだ。
ところで、首相を支持するという政治家(特に若手)を見ると、テクニックで事を済ませようとする姿勢が前に出て、人間的な複雑な要素が抜け落ちているように見える。誤解を恐れずに言えば、いずれもセルロイド人形のように見えて味がない。そう見えるのは、科学万能主義者として技術を信じ、進歩というものを無邪気に信じているためではないだろうか。その立場に立つと人間が持つ他の要素がしばしば目に入らなくなる。科学から文系に移行した人間として、特にそのあたりが気になった。