イリヤ・エレンべルグという作家、あるいは芸術と科学 Ilya Ehrenbourg, ou la science et l'art |
昨日はパリにしては珍しく、終日曇り時々雨だった。出足を挫かれ、アパルトマンに閉じ籠る一日となった。何気なく撮った写真を眺め、何かないかと思いながら偶然を探すという楽しみを味わう。そうすると、先日何気なく入ったリブレリーのものがあり、写っていた文字を手繰っていくと、この方が現れた。
Ilya Ehrenbourg (27 janvier 1891 - 31 août 1967)
Les Gens, les années, la vie
この本は、「わが回想 人間・歳月・生活」 として朝日新聞社から出ている。
ウィキに行ってみたが、彼の人生は飛ばして最後にあったインタビュー記事にリンクしていた。
インタビュー (The Paris Review, 1961)
この記事の半分以上はインタビューに至る過程と終わってからの考察で、本体は5ページ程度。最初インタビュアーがアパートに辿り着くまで、モスクワの情景を描写している。おそらアメリカ人と思われる方がアメリカ人の感性でソ連の社会を覗くように書いているその英語を読みながら、その昔滞在したアメリカで、ニューヨーク・タイムズの記者ヘドリック・スミスが書いた話題の書 "The Russians" (1975) を手にしたことが懐かしく思い出された。
エレンべルグはモンパルナスでも時を過ごしている。部屋にはピカソ、シャガール、レジェなどの作品が飾ってあり、フランス文学についても語っている。彼の書斎には "Pour toi mon ami, Picasso 29 août 1948" の文字が見える彼の本質を一瞬で捉えた小さな肖像画があったという。初日は時間切れで翌日に正式なインタビューが行われている。その前に、彼が2年ほど前に書いた記事が論争になり、当時もまだ引き摺っていた問題があることを知る。それは、コムソモルスカヤ・プラウダという当時340万の購読者を誇る若者向けの新聞に書かれたもので、テーマは科学と芸術の関係。まさかここでこのテーマが出てくるとは予想もしていなかったので、いつものように不思議な気分が襲っていた。現世的には、暇もないのに読んで "Ça vaut la peine." ということで終わってしまうのだろうが、、。
その新聞記事では、彼のところに届いた若い女性の手紙を引用して科学と芸術の問題を論じている。その手紙は、彼女のフィアンセが科学にしか価値を認めない物理学者で、彼女が芸術に興味を示したことを批判し、鹹かったために別れなければならなくなったが、このことについての意見を求めるものだった。半世紀前のソ連のことだが、例えば、芸術に情熱を燃やすのは間違っているか、芸銃は科学と同じように重要なのか、現代社会において芸術の場所はあるのか、など、今でも新しい問題だろう。この事実を知ったインタビュアーは、これを翌日のインタビューの一つのテーマにすることに決める。以下にその要約を。
コムソモルスカヤ・プラウダの記事の後に起こった議論について:
科学の進歩の中で芸術が死にかかっているという問題を提起したのではありません。昔は、芸術と科学の間に対立はありませんでした。ヘレニズムの時代には科学が芸術よりも優勢でしたが、初期ルネサンスでは芸術が科学をリードし、ルネサンス最盛期には芸術と科学がともに花開いたのです。むしろ私が問題にしたいのは、極端な専門化です。この傾向を特にアメリカの専門家に見てきました。この記事で若者に訴えたかったことは、一方に偏った成長が危険であることです。芸術の社会における役割は、感情を育てるということです。大学教育においても、両面を育てる動きが認められます。私が最近訴えたテーマも、知るだけではなく、感じることができる新しいソビエト人というものでした。
作家活動と政治的活動の調和について:
これは最初の質問と深く関連しています。現代において、詩人は核物理学を理解すべきですし、物理学者は詩を味わうべきです。これほど科学が進むと、最早ダビンチやゲーテが生まれることはないとは思います。しかし、作家が書斎に閉じ籠って書いていることは想像もできませんし、そんな人はいないと思います。
フローベールは若き日にこう考えていたようです。「もし勇気を描こうとするならば、兵隊にはなるな。恋人を描こうとするならば、恋に落ちるな。そして酔っ払いの場合には、ワインを飲むな」。しかし、スタンダールを見ると、この説が必ずしも正しくないことが分かります。彼は兵隊であり、酔っ払いで、恋もしましたが、人間の多様な感情を見事に描いています。
ところで、私は作家活動と政治活動の間に線を引いていません。私の公的活動は、平和と外国との文化交流を目指しています。なぜ原爆による死から人間を守ることを政治家だけに任せるべきなのか、私は理解できません。これは文化交流についても言えます。
執筆と公的活動の両立の難しさについて:
ここで最初の質問に戻ることになります。現代の科学者は忙しくて芸術を味わう時間がないと言われます。しかし、私も知っているフレデリック・ジョリオ・キュリーという実例があるのです。彼は書き、研究所の建設を指揮し、国際平和団体の理事を務め、絵を描き、そして音楽を楽しんだのです。時間は主観的なもので、長くも短くもなります。アメリカの諺に "Time is money" というのがありますが、時間はそれ以外の多くのものになるでしょう。時間と空間を超え、永遠に至ることができるかもしれません。
将来の小説の形態について:
それぞれの時代が独自の形態を取ってきました。小説では実験が正当化されます。型にはまったものを上手に書き続けることよりも、ぎこちないながらも新しいものを書く方がよいでしょう。19世紀にはある人物、ある家庭の運命をテーマにしていました。現代ではある人の運命は他の多くの人の運命と絡み合っています。この事実は、小説の形態に変化を与えています。
私が小説に対する時、詩人の態度を採用しています。最も重要なことは、個人的な英雄の運命ではなく、ある種の状況になります。例えば、「パリ陥落」 ではパリが、そして 「嵐」 では戦争がテーマでした。作家に求められるのは、登場人物とともに生きる能力です。作家は観察者に留まるのではなく、初めははっきり見えないものを示し、人間の内面を暴き出さなければなりません。そのためには、作家自身が同様の経験をしている必要があるのです。