過去のすべてが 「今」 の平面に |
昨日の記事で、本を見て、本の中身を読んで思い出したことがもう4年も前になることに驚いたことを書いた。知らない間に時は流れていることを改めて感じていた。なぜなのか。またしてもシャワーの時、こういう解釈が浮かんでいた。おそらく、ブログというものを始めて以来、そこに溜まってきたものが時間を失っているのではないか。そこにあるすべてが時間軸を失い、あたかも同じ平面上にあるような感覚を伴って存在しているのではないか。したがって、それらを見る時、「今」 から昔を振り返って見るのではなく、「ここ」 から 「今」 どこかにあるものを見ている感覚があるような気がしていた。自分の中では、そこにある記憶には古さはなく、「ここ」 との距離感だけがあるため、時間を数字で示されるといつものように驚いたのだろう。
これはわたしにとってのブログの効用になるが、これまでの一つひとつの小さな経験、感覚器への抵抗として残っているものが、そこら一面に転がっているという印象を生み出していることだろう。大袈裟に言うと、これまでのことがすべて 「今」 にあるという感覚に繋がっている。これは、以前に感じた 「過去の自分を現在に引き戻す」 (2007-01-30) という営みを無意識のうちにやってきた結果なのかも知れない。そんな思いが朝の一瞬に浮かんでいた。