ジョーン・ミッチェル展 ― ジヴェルニー印象派美術館 Joan Mitchell au Musée des impressionnismes |
こういう場所に来るといつも浮かぶのは、少し突飛にも見えるが自分の感受性がかつての共産主義者がソ連などを訪れた時に見、感じたのと同じようなことになっているのではないかという疑いである。とにかく、全身の感覚器が心地よく作動し始め、景色、形、色合いなどのすべてが響き合いながら中に入ってくるのである。中に入ってくるものが、感覚器の上位でコントロールされているのではないかという疑いになる。人間の見るものや考えることが何かによって箍が嵌められていることに気付かないことが多いので、益々そう思うのだろう。このような思いは一瞬でどこかに行き、素直に会場や周辺の庭園を楽しんでいた。
最初にジョーン・ミッチェルさんについて、以前の記事から転載したい。
Joan Mitchell (February 12, 1925 - October 30, 1992)
シカゴの裕福な医者の家に生まれる。アメリカで学んだ後、フランス、イタリア、スペインを旅する。30歳でフランスに移住。パリに住んだ後、ジベルニー (Giverny) に移り、モネが住んでいた家の近くに居を構える。パリ郊外のヴェトイユ (Vétheuil) で67歳で亡くなる。
彼女の絵は、「枯れゆくひまわりの感情を伝えるために」 ("to convey the feeling of the dying sunflower") 描かれたとのこと。ゴッホ、セザンヌ、カンディンスキー、後にはフランツ・クライン、ウィレム・デ・クーニングなどの影響を受けていると言われる。
展示されていた作品は30点ほどだろうか。まず会場の雰囲気に身を晒しながら、全体の空気を味わう。以前にもこういういやり方で展覧会を楽しんでいたが、精神的余裕ができてくるとその味わいが深くなる。ジョン・ミッチェルはクレメント・グリーンバーグらが推し進めた抽象表現主義(Expressionnisme abstrait ; action painting も含まれる)と言われる流れに属している。そこに描かれている形や色やリズムとでもいうべき動きの全体を味わうことになる。また、作品が大きいのでその場にエネルギーが溢れ出しているようにも感じることができ、併せて楽しむことができた。写真が禁止されていたので紹介できないが、作品はこちらのサイトで傾向を掴むことができる。ただ、大きな実物から受ける印象とはかなり変わってくるのは否めない。
1時間半ほどミッチェルさんが放つエネルギーの中に遊んでいた。日本ではボールペンでメモを取っていると注意しに係の人が寄ってきて興醒めするが、そういうこともなく気分よくこの時間を堪能。それからルーアンの美術学校で美術史を教えているリュシル・エンクルヴェ(Lucile Encrevé)さんによる 「ヴェトイユのジョーン・ミッチェル」 (Joan Mitchell à Vétheuil)というセミナーがあったので聞く。ミッチェルさんにとっての絵画とは、死に抗するもの、死の対極にあるものであった。ノマドの血が混じっているような軌跡を歩んでいたミッチェルさんが最終的にヴェトイユに居を定めた理由として、モネの近くであること、モダニズムから離れられること、そしてそこには自然しかないことの3つを挙げていた。ただ、彼女はモネを引用することはなく、モネには光がないと批判していたとのこと。むしろセザンヌの影響の方が強いようだ。
会場にあった彼女の言葉から。
« Je peins des paysages remémorés que j’emporte avec moi, ainsi que le souvenir des sentiments qu’ils m’ont inspiré, qui sont bien sûr transformés...
Je préférerais laisser la nature là où elle est...
Elle est assez belle comme ç. Je ne veux pas l’améliorer...
Je ne veux certainement pas la refléter.
Je préférerais peindre les traces qu’elle laisse en moi. »
(Joan Mitchell, 1958)
「わたしが抱えている記憶にある風景と同様に、わたしに霊感を与え、変容した感情の記憶をわたしは描くのです。自然はそこにあるがままにするのがよいでしょう。それで充分に美しいのです。自然をよりよくなどしたくありません。当然のことながら、自然を写すこともしたくありません。自然がわたしの中に残す痕跡を描きたいのです」 (ジョーン・ミッチェル、1958年)
« Si tu dis sky, ça signifie ciel. Moi je vois d’abord S-K-Y. S est plutôt blanc, K est rouge, Y est ocre jaune. Le ciel pour moi est le mélange de ces couleurs. A est vert, B est bleu gris, C est jaune et ainsi de suite. C’est la manière dont je l’ai imaginé quand j’ai appris enfant, l’alphabet. J’imaginais tout en couleurs. Voilà pourquoi je n’aime pas tellement le français. Le CIEL ne ressemble certainement à aucun de mes SKY avec leur rouge, gris bleu et jaune. »
(Joan Mitchell, 1989)
「あなたが sky と言う場合、それは ciel を意味しています。わたしの場合は、まず S, K, Y となります。S は白、K は赤、Y は黄土色です。わたしの空はこれらの色が混じったものです。A は緑、B は灰青色、C は黄、という具合です。これが子供のころアルファベットを習った時にイメージしたやり方です。わたしはすべてを色で想像しました。だからフランス語が本当に嫌いなのです。Le CIEL は赤と青灰色と黄色があるわたしの SKY とは似ても似つかないのです」 (ジョーン・ミッチェル、1989年)