エルサレムに通う、そして旧市街下見 |
今日からエルサレムでの会議になる。パスで大体1時間ほどで着くとのことで、間に合うように出かける。バスの着いた辺りは活気がある。あるいは、雑然とした方向性のないエネルギーに溢れていると言った方が正確だろうか。教えられたバスが来たので乗ったのはよいが、逆方向。最初の駅で降りるとこの景色。広々としている。
今日も30度は超えているのだろう。汗が噴き出す。しばらく待ったがバスが来ないのでタクシーにした。初日に懲りたので、それ以来タクシーを利用することが多くなっている。少ない経験だが、タクシーの運転手も結構いい加減である。最初に料金を指定してくることがあるが、当然のことながら少し多めに言ってくる。それがわかったのは、メーターを動かすドライバーもいたためである。今日の帰りには、行きと値段が違うと言うと、行きと同じでいいですよと言っていた。また、いい加減と言えば、こちらの通貨単位であるシェケル (shekel) 以下の半端な料金はいいですよ、と言って受け取らないことがある。ユーロで言えば、サンチームに当たるところである。このあたりの感覚はよく分からない。
こういう環境から日本を見ると、規則通り、さらに言うと管理が行き届いていることがよくわかる。その中でがんじがらめになり、ただその枠組みに身を任せているだけ、という印象がある。それは昨日のホテルの解約でも感じた。社会生活における糊代、遊びがほとんどなくなっている。それで安心していられると考える人が多いのだろうが、その代り自らの身を何の検証もなく無条件でどこかに預けてしまうという習性が身についてしまう。その特徴は、海外に出ると教養とは関係のないレベルで現れることになる。人間の逞しさが全く違うのだ。
会場となる研究所は閑静な地域にあった。会が終わり、予定していた旧市街の下見に向かう。歩いて行ける距離とのことで歩き始めたが、汗がじっとりと流れ落ちる。ここまでの暑さになると、不快さをものともせず、このまま行けるところまで行こうという気になっていた。途中、方向を確かめるために横の道から歩いてきた私より少しだけ若そうに見える紳士に話しかけてみた。今回は間違っていなかったので歩き始めたが、俺に付いて来いという合図をしている。もうすぐだったのでお付き合いすることにした。涼しい道を紹介してくれ、旧市街入口まで話しながら向かった。私が話し始めると、あなたの英語はどこ製ですか?と聞いてきたので、アメリカ製ですと答えてから話題が言葉になった。
ユダヤの方は言葉に対する感覚が鋭く、外国語もうまいように感じているが、と水を向けると、ユダヤ人とは一般化できないと反論してきた。アメリカやイスラエルで生まれ育ったユダヤ人は決してそのような特徴は持っていないという。そうなるには外国に住むか、外国人の支配下に入った場合で、そうせざるを得ないからだというのが、彼の観察。ドイツ、ポーランド、ソ連などに住んでいたユダヤ人は、ヘブライ語、イディッシュ語の他にその国の言葉を使い、学校によってはさらにラテン語、ギリシャ語の教育までされる場合があるので、異なる言語が常に身の周りにあることになる。このような環境は精神の働き方に大きな影響を及ぼすことになるのだろうが、それがどのようなものなのか、なかなか想像できない。日本の場合もアメリカ同様に、自国の文化でやって行けると思っていて、必要を感じないので外国語を使えるようにならないだけで、日本人の語学に対する才能とは関係がない、というのが彼の分析だった。そしてこう付け加えてくれた。
「ところで、あなたは今フランス語を学ばなければならず、これから三ヵ国語で考えることになる。それはそれだけの異なる世界に開かれることになるわけで、素晴らしいですね」
フランス語がさっぱり上達しないので、なかなかそうならないと言っても譲らなかった。やはり、言葉の力のようなものを信じているのだろうか。折角なので写真をお願いしたが、写真は嫌いなので私の心をエルサレム市民の心として受け取って下さいとのことで、二度力強く握手して別れた。
旧市街に入るとインフォメーションがあったので、中で地図をいただき、3人の女性から説明を受ける。そしてどこから来たのか、と聞くので、これまでの状況を簡単に説明する。そうすると、年配の女性がこう言ってくれた。
"Kol Hakavod!"
彼女の訳は、"All the glory (respect) to you!" だった。早速歩き始めたが、私の場合は地図があってもあまり助けにならないことを今回も確認することになった。迷いたい、という潜在意識でもあるのだろうか。両側に小さな店が並んでいる細い道に入り、2時間ほど彷徨っていた。
旧市街を出てからバス・センターを目指したが地図を見ても目に入らない。最初に道を聞いた人がすぐそこにあるような口調だったので歩き始めたが、それらしいところはさっぱり見つからない。途中、自分はわからないので夫に聞いてみると言って電話してくれた子供連れの女性がいたが、ありがたいものである。その指示通りに歩いているつもりが違うところに出る。結局、1時間ほど彷徨った後にタクシーにした。このドライバーはよい意味でのいい加減なタイプだった。そして、エルサレムの女性はいいでしょうと言う。客を見て話題を選んでいるのだろうか。なぜかと聞くと、強いのだそうである。