テルアビブ到着 |
昨日の夜シャルル・ド・ゴールを出て、スイス経由でテルアビブに無事着いた。今朝3時半のことになる。パリの空港では2度3度とゲートが変わったが何のアナウンスもなく、ゆっくりと流れる人の動きを察知しながらそれに合わせるように動いていた。日本で同じような状況になると事細かく放送があり、それがないと詰め寄るお客さんがいる、というような図が浮かんでいた。落ち着いた大人の国という印象である。
チューリッヒからの機内は3人掛けで、中の席が空いていてほっとする。同じ列になった私より少しお若いと思われる女性が、こちらを見てにっこりしている。こういうことは日本ではまずあり得ない。お話してもよいですよ、と言われているような気がして話しかけてみた。彼女はスイスとイスラエルで暮らしているとのこと。わたしのことを聞かれたので、これまでと今を話す。彼女はフランスの小説が好きでよく読むが、フランス人の(自己)表現の仕方、考え方には独特なものがあると感じている。パリの街も独特の雰囲気があり、そこで哲学をするなどというのは贅沢になるのでは、と。大学の空気も素晴らしいでしょうなどとパリが相当にお気に入りのようである。わたしが哲学するためには仕事をしないことが大切、などと切り出すと、最近何もしないで思いを巡らす時期を持つことが必要だと思い始めているという。
日本文化にも興味があり、京都や大阪に行った時は歓待されたが、日本人は常に控え目で自分を出さないように見えた。自らを開かないのは傷つくことを恐れているからでしょうか、と聞いてきたので、それはわからないが、むしろ自らが属していると考えている外の人に対する接し方、開き方を身に付けていないのではないか、という想像を話していた。それは自らを外からの視点で見ることができない、あるいはいつも内輪の話をしていることにもつながるのかも知れない。彼女の外から見る日本人評は、いつもプレッシャーの中にいて、人生を楽しむ余裕がないように見えるとのこと。これはわたし自身がヨーロッパに来て感じていることでもあったが、ひょっとすると彼らの考える人生の楽しみがわれわれ日本人と大きく違っているのかもしれない、との思いが浮かんでいた。それはそのまま、この世界をどう見るかの大きな違いに基づいているのだろう。それから彼女との話の中で、フランスでの人と人との距離感がわたしには合っていることに気付いていることを確認していた。
テルアビブに3時半とのことで憂鬱だったが、着いた時に時計を見ると2時半になっていて、気分が一気に楽になる。時差があるのを知らなかったのだ。