ウィルフリド・セラーズという哲学者、あるいは科学と形而上学 |

今日は朝から久しぶりのコレージュ・ド・フランスへ。数日前に偶然開いたコレージュ・ド・フランスのページに 「科学と形而上学」 という言葉が見え、この問題を考えたアメリカの哲学者ウィルフリド・セラーズ (Wilfrid Stalker Sellars, 1912年5月20日 - 1989年7月2日) についてのコロックがあることを知った。今回テーマになっている問題はいつも頭にあることなので期待して出かけた。この哲学者は非常に有名な方で、ピッツバーグ大学に強力な哲学科をつくり、多くの弟子を輩出している。私は今回初めて知った。
最初のセッションの座長は私でもその名を聞いたことのあるロバート・ブランドム氏 (Robert Brandom, 1950-) でセラーズの同僚だった方。最初の演者はジョンズ・ホプキンス大学のマイケル・ウィリアムズ氏 (Michael Willaims, 1947-)。お話はイントロなしで一気に本題の中心に入って行き、がっかりする。基礎体力がすでにある人、もっと言ってしまうとこの問題の専門家を対象にしているようで、フォローするのが難しい。ヒントになる糸の端はいくつも見えたような気がしたが、それを引き寄せることができないのだ。もちろん、言葉の説明からしていたのではいくら時間があっても足りないということも理解できるが、専門外の人を意識してもう少し一般的な言葉を使って話ができないものだろうか。他の領域と変わらず哲学も高度に専門化してしまっていて、そのことに関しては余り気に掛けていないことがわかる。
中休みにセラーズの流れをくむ哲学者で明日話すことになっているウィレム・ド・フリースさん (Willem de Vries) と科学と形而上学の関係について言葉を交わした。セラーズの考え方は科学の過程に形而上学的要素を入れて考えると言うよりは、科学がもたらす知見が重要で、それこそがわれわれの世界観を変えることができるというもの。形而上学・哲学は、その世界観を導き出す過程で重要な役割を担っている、あるいは担わなければならないという考えの持ち主だったようだ。まず科学があり、その後の哲学ということになるのだろうか。他にも科学と哲学の交流のこと、科学者の哲学への移行などについても話すことができた。私がこの領域に入った一つの要素である死についても聞いてみたが、死については最近意識するようになってきたが、かと言って永遠の生は求めないという、意外にあっさりした答えであった。
今、ド・フリースさんのページに入ってみたところ、セラーズのこの言葉が掲げられていた。
"The aim of philosophy, abstractly formulated, is to understand how things in the broadest possible sense of the term hang together in the broadest possible sense of the term." - Wilfrid Sellars -
「哲学の目的は、抽象的に言うと、言葉の持ち得る最も広い意味におけるものごと (自然、世界、宇宙へと広がるのだろうか) が、言葉の持ち得る最も広い意味においてどのように共に在るのかを理解することである」
ものごとを理解する前提としての事実を差し出すのが科学であり、それらを結びつけながら全なるものの理解に導くのが哲学だと考えていたのだろうか。もしそうだとすれば、私がこれまでに感じ取っていたことと通じるものがある。いずれにしても、この問題はこれからも持続的に考えていくことになるだろう。霧が立ち込める中でのコロックではあったが、こんなところに落ち着いていた。



