フランチェスコ・レディという宮廷医 Francesco Redi, médecin et poète italien |

1668年。当時は死体にウジが湧くのは、アリストテレスが唱えていたように自然発生によるためだと考えられていた。フランチェスコ・レディという方が対照実験を行ってこの考えを否定した。具体的には肉をフラスコに入れ、一つは蓋をしないで放置し、他方にはガーゼを被せたところ、ウジが湧いたのは前者だった。そこから、彼が仮定した通りウジが湧くのはハエが卵を産み落としたためであると結論した。それから2世紀が経過し、19世紀になってパスツールが白鳥の首と言われるフラスコを使って、自然発生説を完全に否定したという歴史がある。17世紀に最初にこのような実験をしたレディという人物に興味が湧き、少し調べてみた。
彼は1626年2月18日、トスカーナ州のアレッゾに生まれている。フィレンツェで文学、ピサ大学で医学を学んだ後、1666年には父親の跡を継いでフェルディナンド2世の侍医となる。さらにその息子コスモ3世にも仕え、亡くなるまで宮廷に留まった。自然史博物館を創設したり、芸術と科学を結びつけている。過去に生きていると、このような精神の持ち主が至る所にいるので驚かなくなった。むしろ現代の方が少し異常に見えてくる。自らを振り返れば、狭い範囲に身を置かなければ今の世は生きていけないということなのかも知れないが、、。
彼は詩の才能があったようで、詩集 "Bacco in Toscana" を物している。その英訳は Google Book で読むことができる(Bacchus in Tuscany)。その訳者の解説の中に、彼が12歳の時、イギリスから詩人のジョン・ミルトン(1608-1674)がイタリアを訪ねてきたが、その時に彼を見たのではないか、それが後年何らかの影響を与えたのではないかと推測している。
その解説には次のようなお話も出ていた。医者、文献学者でギリシャ、ラテンの文献を集めるのに精を出す(世界中のワインを集めるのも忘れなかった)。その一方で、専門、専門外問わず友人からの呼びかけには常に応じる心を持っていた。彼の評判が高かったのは、単に科学的知識が豊富だっただけではなく、ウィットと寛容の精神、活力と繊細さを持っていたためではないかと推測している。コスモ3世は体が弱かったので、彼は薬を処方するだけではなく、詩と持前のウィットで気が紛れるように気を配っていたという。bon vivant だったようだが鬱の傾向もあり、それには忍耐をもって当たっていた。1697年3月1日、ベットで亡くなっているのが発見される。遺体はピサから生まれ育ったアレッゾに移されたという。享年71。
詩にも目を通してみたが、貧乏性のせいか人生を享楽的に味わおうという印象のある言葉にはなかなかついていけなかった。トスカーナ地方というと、ワインと太陽に溢れている印象があるが、実際にはどうなのだろうか。いずれレディさんの境地がどのようなものだったのか、触れてみたいものである。


