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昨日は抜けるような快晴だったせいか、依頼原稿を終えることができたためか、久しぶりの解放感が訪れ、パリの街中に出たい気分になっていた。シャトレ、ポンピドゥー・センター、レ・アールのあたりへ。
メトロでは私の哲学が宣伝されているので驚く。これが実践できれば、素晴らしい人生になるだろう。全身を黒で包み、麦藁の帽子をかぶった中年男性が乗り込んできた。仏教僧の雰囲気がある。正しい姿勢で席に着いた後、徐にいつも愛読しているのではないかと思われるくたびれた表紙の小さな本を手元に置き、そのページを捲りながら時折ニンマリしている。
シャトレから散策を始めると、このような彫刻を街中で制作中の中国系ベトナム人アーティストに出会う。
ポンピドゥー・センターではカンディンスキー (Vassily Kandinsky ; 1866-1944) とカルダー (Alexander Calder ; 1898-1976) をやっているが、祭日で休館。このカルティエには日本にいる時に何度か来ており、実際に入ったカフェもいくつかある。昨日はその中の一つを再訪していた。こういう経験をする時にはいつも以前の心の状態を思い浮かべ、その隔たりに目を見張ることになる。
通りに接した席に座り、デジュネを取る。その時、通りかかった路上生活者が顔をわたしの前に突き出し、大きな太い嗄れ声で「ボナペティ!ボナペティ!」。少し驚いたが、目が笑っていたのでメルシを返す。何が起こるかわからない面白さがある。
隣の席には若い男女4人組。どうも大学院マスターの学生のようだ。わたしが店員と話をする時、なぜか彼らの話が止むのだ。こちらのフランス語を品定めされているような錯覚に陥り、意識して話すことになる。
ところで、フランス語に関して最近気付いていることがある。それは、彼らと話をする時に以前に感じていた心の壁が崩れかかっているということだ。自然に話ができるようになっているということだろう。昨年12月には、それまで感じていた大学のクールでフランス語を話すことに対する抵抗感が薄れてきたことに気付いたが、今回は街に出て話をしていると時にその感覚が襲ってきた。ありふれた日常でのことになる。これはフランス語のレベルが向上したためでないことだけははっきりしている。第一、そんなに急に上達するはずがないだろうから。それよりは、彼らの態度の中に同じ平面で生きている者に対する共感のようなものを感じ始めているためではないだろうか。そんな些細な心理的影響が大きいような気がしている。
もう夏が訪れているようなパリ。日本からの観光客も目についた。