すべてが主に、あるいはすべてを主に |

昨日は、研究所に向かうべくメトロに乗る。
なぜか乗り過ごしている。
少し慌てたが、すぐに別に研究所でなければならないことはないと気付く。
徐にどこで降りようかを考える。
仕事をしていないということは、こういうことだ。
気分が向いたところで降り、カフェを2軒はしごする。
明日締め切りの雑文を書き進む。
全体の大きな流れは見えてきたが、まだ最後の姿は見えてこない。
それは明日になるのだろう。
専門を持ち、それを仕事にしている時は、これは謂わば副になる。
ある程度のところでけりをつけていただろう。
しかし、専門がなくなるとすべてが主になるのだ。
すべてを主にしようとしているのかもしれない。
どこから何が飛び出すかわからないからだ。
それでどこにも手が抜けないということになる。
そこには仕事をしていた時には味わえなかった緊張感がある。
それを楽しんでいるようでもある。


