体全体を使って書く |
今やっとのことで、前期最後のミニメモワールを仕上げた。予定を大幅に遅れているがvalidationに間に合うことを願っている。これで、本来は口頭試問の終わる月曜午後からに予定していたボルドーにやっと旅立てることになった。実はこの二日間、夕方に出発できないことがわかるとその都度ホテルのキャンセルをしたのだ。細かくなるが、当日のキャンセルは本来できないはずである。日本では機械的に扱われるケースだと思うが、ここがフランスであることを期待したいものである。
ところでこれまでの論文を書くという作業から自らの癖がわかってきた。以前にも触れているが、相変わらずブロックを積み上げるようにしか文章を書けないので、時間がかかってしょうがない。それから始まる前に何をどうまとめるのかという決断が遅い。最後に振り返ると、最初はとてつもなく大きなテーマを抱えて右往左往していることがわかる。その意欲やよし、というところはあるのだが、自らの力と時間的な制約を考えると最初は小さくスタートして、余裕があれば広げていくというのが現実的だろう。気持ちが高ぶっているのか、なかなかそうはなっていないようだ。
それから二つのことを同時に抱えていると、どちらもできなくなる傾向にある。例えば、今回のミニメモワールと口頭試問の準備をしなければならない場合、両方が気になって結局どちらにも入りきれないのである。今の状態は、小手先で器用に片づけていくというのではなく、ひとつひとつの問題にどっぷりと浸りながら体全体で事に当ろうとしているようである。そうできなければ満足しなくなっているところがある。扱うすべての問題が自らの存在とどのように関わっているのかという視点で考えることができなければ、やる価値がないとでも思っているかのようである。これはまさに哲学の姿勢なのかも知れない。科学ではこうはならなかった。
ところで昨日の夜散策をしながら、こちらに来て最初に気付いた家の中や街路に蛍光灯が使われていないことに改めて感心していた。落ち着いた気分でいることができる一つの理由かも知れない。蛍光灯にはどこか心を苛立たせるところがあるようだ。