フランスの定年延長、それから身の回りのいろいろ |
Le Conseil constitutionnel valide le départ à la retraite à 70 ans (憲法評議会、70歳定年開始を承認)
久しぶりにル・モンドに行くと、フランスのサラリーマンの定年が70歳まで延びるとの見出しが飛び込んできた。寝る前で中身は読んでいないが、日本では大歓迎されるニュースではないかと思う。フランスでは保険制度を維持するために働かされ(?)、老後の楽しみを奪われるので反対する人が多いのではないだろうか。と言うのも、フランスに触れるようになって驚いたことの一つに、定年が60歳から65歳に延長される時に反対のデモがあったことである。最初はその訳がわからないくらい、日本での仕事に浸かっていたようだ。それが日仏の人生の受け止め方の違いを感じた最初の瞬間であった。これからこのニュースが広がるにつれてどのような反応が出てくるのか、楽しみでもある。
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今日は朝から郵便局で本を受取り、先日雨の中申請した在留証明書をもらうために大使館へ。それから研究所のお昼のセミナーを聞きに行く。今の研究の流れの感触を掴むためだが、これまでのようなその中に入って聞くというところからはっきり離れていて、今の道に何かヒントになるような研究成果が出ていないかという目で話を聞いている。同時に、これまでには余り感じたことがない、皆さんには頑張って研究に励んでいただきたいという気持も生まれている。直接関わっていないせいか、これが案外いい気分なのである。もう20年ほど前になるだろうか。専門の雑誌に 「師を語る」 というコーナーがあり、O先生の薦めで記事を書いたことがあるが、その中に正確な言葉ではないが次のような一節を入れた。
これまでにハンモックで何度か触れているEAB先生が論文を仕上げる様子を見ていて、専門の中で独りよがりになるのではなくその外にいる人にもわかるような書き方をしているのを感じたことから、次のようなエピソードを思い出して書いた。それはピーター・メダワーというイギリスのノーベル賞受賞免疫学者の書いたものの中に、自分より優れた人が興味に任せて専門外の雑誌を手に取ることがあるかもしれない。その時にまったく理解されないような書き方をしていたのでは折角のチャンスを失うことになる、というような一文であった。
私が科学の分野で今やっていることは、特に優れているわけではないが、メダワーの話に出てくる科学者の行為と重っているのではないか、と感じていた。その昔自分の書いたことを気づかないうちにやっているのを見つけるのも面白い。
セミナー終了後、滞在許可証の準備ができましたという案内に従って郡庁に向かう。2時間ほど待って1年間有効のカードを期限ぎりぎりで手にすることができた。数ヵ月後にインタビューがあり、来年1年間はOKということになる。いろいろあったが、やっと自然な流れに入ってきたようだ。何か事がある時の揺らぎがだんだん少なくなってきている。待っている時に上を見ると下の景色が目に入ってきた。
いずれにせよ、今日は冷え切ったパリの町を歩き回ったという印象がある。