この人は何を考えて生きていたのか? |
長い旅から帰ってきたかと思ってこちらを見てみたら、まだ丸二日しか経っていない。長く感じたその旅では、最後のミニ・メモワールと格闘していた。
経過はこんな具合だっただろうか。もう遠くのことのように感じられ、正確には思い出せない。先週の土曜日、結局やる気にならず、日曜と月曜で仕上げようというかなり甘く、図々しい考えでいたようだ。日曜も夜が深まり、周りから音が消えてきた時にやっとその気になってくれ、結局朝の鳥の挨拶を受けた。しかしどう考えても終わりの見通しが立たない。締め切りは月曜の夕方である。不本意ながら大学に連絡して、一晩締め切りを延ばしてもらうことにした。そして昨日から今朝に掛けて、最初の学生時代でもやったことがないだろう二日続けての準徹夜となった。そしてやっとのことで仕上げたものを今朝提出してきた。これで口頭試問2つを残すだけになった。9月締め切りのメモワールは残っているが、、。
今回のお相手は、ミシェル・フーコー(Michel Foucault: 1926-1984)。日本にいる時にはその名前とマスコミに上ってくる彼の人生の一部しか知らなかった。こちらに来て初めて、彼がガストン・バシュラール(Gaston Bachelard: 1884-1962)、ジョルジュ・カンギレム(Georges Canguilhem: 1904-1995)からフランス精神を受け継いだ人間であることを知る。父親が医者であったためか、医業は継がなかったものの、彼の思索は医学から始まり、常に人間の状況、人間の営みを突き詰めようとするものであった。彼の同時代人から前期と後期に亘って話を聞くことができ、非常に近い存在に思えてきた。未だその中に入るところまで行っておらず、入り口に立ったというところだろうか。
この間、いろいろなことがこの頭の中を巡っていたが、その一つ。こちらに来る前には、この地下に埋まっている人類の遺産を掘り起こしたいという想いを抱いていた。そして今回、それが意味する具体的なものを感じることができた。その元にあるものは、一体この人間は何を考えて生きていたのか、何を知るために、何をやるためにこの世に現れたのか、という熱い想いであった。それが大げさに言えば自らの極限のような状況で現れた。そういう想いを抱く人が次第に増えてきているのは嬉しいことである。
朝一番にメモワールを出した後、中庭でカフェを口にしながらのんびりしていた(上の写真)。今回はやり足りないという思いが強いからだろうか、解放感は全くなかった。それから夢遊病者のようにカルチエ・ラタンの散策に出かける。
まず大学前の哲学書店 Vrin を覗く。興味を惹いた4冊を仕入れて広場をゆっくり歩き始める。それまでも見ていたはずのこの像の台座に刻まれた名前が飛び込んできた時、この像が初めて意味のある存在になった。お恥ずかしいながら、オーギュスト・コント(Auguste Comte: 1798-1857)だった。頭の上でのんびりと休んでいる鳩を追い払おうともせず、初夏の朝の日差しを受けていた。
裏通りを当てもなく歩いているうちに、次第に生気が蘇ってくる。しばらくするといつも入るオデオン近くの医学書店 Vigot-Maloine が見えてきたので、買いたいものはなかったが入ることにした。眺めているうちに4冊ほどに手が伸びていた。勘定の時、こちらの大学の先生か、ひょっとして学生であれば、5%の割引がありますということを聞き、驚いた。そんなことは今までに一度も聞かれたことがなかったからだ。先ほどのVrinではケスのところにその旨の紙が張ってあり、今や自動的に割引いてくれるが、こちらではその案内がない。今回はありがたく学割を使わせていただいた。おそらく仕事に忠実な彼女が天使に見えてきた。これからもっと頻繁に来るようにしますからと言ってその店を出た。近くのカフェで少し早いデジュネを取っている時、ひょっとしてこの2日間のこれまでにない集中のためにそれらしい顔になっていたのだろうかなどという思いも浮かんでいたが、以前は旅行者と思われていたか、そもそも学生ですかなどと聞くのは時間の無駄だと思われていたと考える方がまともだろう。
ブログを離れてわずか2日しか経っていないが、私にとっては1週間くらいの印象がある。おそらく、ブログを通して外に開かれていないために自らを取り巻く状況に集中できたからだろう。そして、このような時間は非常に貴重なものに思えたのも事実である。たまにはそうした時間を持ちたいものである。
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(21 mai 2008)
オーギュスト・コントで思い出したことがある。3年ほど前にパリに来たことがある。ある朝、ホテルの近くを散策している時に彼に会っていたのだ。名前は知っていたが、どういうことをやった人かは知らなかった。しかし、将来どこかで繋がってくるのではないかと漠然と感じ、シャッターを押していた。こちらに来てから彼の考えを聞くことになり、大変な人だということがわかってきた。そして昨日の不思議な再会。こういう糸を見つける楽しみは尽きない。
その時の写真はどこかで使っていると思うが、再掲したい。
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19 mai 2015
感想をいくつか。この日の記事に付けたタイトルは、それ以降も本を手に取った時に最初に浮かぶ問いになった。勿論、中身の技術的な面についても学ぼうとしている。しかしそれ以上に、その背後にある人間に興味があるということになるのだろうか。
僅か2日間ブログを休んだだけで異常に感じていた当時の精神状態。自らの中に再現することもできない。ただ、最後の最後での必死さは伝わってくる。夢遊病者のように歩いたこの日の記憶は、はっきりと残っている。
このところ読み直して感心しているのは、昔はびっしりと、しかも毎日のように書いていたことだろう。別人だったことが分かる。