日本語とフランス語、瞑想生活と動的生活を入れ替える |
日本流に言えば、明日から新学期、新年度が始まる。そのためではないだろうが、ある心境の変化が見られる。それはひと月ほど前から始めた仏語ブログが少し関係しているようだ。これから先どうなるのかわからないが、ひとまずの区切りとしてフランス語の世界はあと2年ほどになった。その間にできるだけその中に入ってはどうか、これまでいつも逃げていたその世界にどっぷりと浸かってみてはどうかという声が聞こえる。アメリカにいた当時は日本語はどこかに追いやり、体ごとその中に入っていた。そのくらい徹底してフランス語をやってみてはどうか。もうそういう時は巡ってこないのだから。そんな思いの声かもしれない。
フランス語の世界に入ると、日本語による想像(妄想)の羽ばたきが少なくなるように感じることは以前に触れた。その傾向が益々強くなるだろう。新たな迸りは減るかもしれない。ただ、それはよいことかもしれない。これまでの4年ほどの間、ここに綴ってきたものをまだ読み直す時間がなかったからだ。今の生活は全体として瞑想的なものだが、このことについて絞って見ると、これまでの精神のアクティブな状態から静的な状態に入り、活動の跡を味わい直す瞑想の機会が訪れることになる。その伝でいくと、上のフランス語に関しては、これまでの逃避状態から動的生活に入ると言えないこともない。日本語とフランス語がそれぞれ瞑想生活と動的生活を入れ替えるという面白い時がやってきたということか。いずれにせよ、この場にも手書きのメモを読み直す時に感じる驚きが隠れていそうな気がしている。自らの探索の旅に出るような気分である。