生きて後、死す Mourir après avoir vécu |

その社会では、自らの内から出たものに従って動き出す精神がない。
そういう語りが聞かれない。
すべてが自己抑制的なのだ。
ネガティブ・フィードバックとしてしか働かない。
内を見ないでいつも周りを見ているから抑制的にしか動かないのだ。
精神が生きていない、死んでいる。
精神の生きていないところで、肉体が生きることはできるだろうか。
そういう精神の集まった社会は、どんよりとした空気に満ちているだろう。
晴れ晴れとした人、溌剌とした人を見つけることもできない。
そこで生まれ、死んでいく人は結局のところ生きてはいないのだ。
そのことに気付かずに死んで行く。
そのことに気付くとはどういうことか。
それは、今ここにある生を徹底的に覗き込み、そのすべてに触れ、すべてを躍らせること。
生きてから死にたいものだ。
ところで、先日も触れたが、こちらから見ていると世界に浮いている日本がよく見える。世界の人も日本をよく見ている。この間、日本とともにあったのではないだろうか。外に出て4年、そのことが自然にわかるようになった。詳しく見ているわけではないが、日本を代表する人から世界の人に向けて何らかの語りかけがこれまであっただろうか。あれからもう1週間が経つ。そろそろ世界に向けてメッセージを発する時ではないだろうか。そういう小さな積み重ねが世界における日本の存在感を高めていくような気がしている。


