フランス語とともに10年 |

2001年3月の花粉症の頃、フランス語が突然目の前に現れた。その日は正確に特定できるはずだが、残念ながら手元にその記録がない。いずれにしても、その時から10年が過ぎたことになる。
私は如何にしてフランス語にのめり込んでいったのか? - 2001年春 (2005-02-16)
上の記事を読むと、まず4年という年限を区切って、最初は軽いお遊びのつもりで始めたようだ。それがこれほど重症になろうとは、誰が想像しただろうか。この間、ある言葉がずーっと頭にあった。それは、おそらく吉本隆明さん (1924年生まれ) の 「何事も10年続ければプロですよ」 というもの。しかし、10年経ってどうだろうか。とてもそんなことは言えないことがわかってくる。尤も、フルタイムでやっていたわけではなかったので、何とも言えないが。最初の遊びの時期を除くと、あと1-2年の余裕があることになる。その辺りが丁度区切りのよさそうな時ではある。
ところで、フランス語10年目の2月末にスタンダールの日記に手が伸びた。1000ページを越えるので後で読もうと考えていたはずだが、読みやすいこともあり、少しずつ読み始めている。
雨に降られてスタンダール、あるいは自分自身であること Journal de Stendhal (2011-02-23)
その過程で不思議な変化が起こってきた。数日前にも触れたが、こちらに来て1年ほどですっかりやる気を失っていたフランス語ブログを再開したことである。始めてまだ1週間程度なので先のことはわからないが、うまく仕上げようとする気持ちがなくなったことで精神的負担がどこかに消えて行った。そこにはスタンダールの言葉、「自分自身でなければならない」 の影響があるようにも感じている。また、フランス語が日常の頭の中に入ってきたことに伴い、日本語の世界にも影響が見られるようになってきた。フランス語が頭にない時にはどこまでも広がっていたかに見えた日本語での想像が以前ほど羽ばたかなくなっている。フランス語で書ける範囲に日本語の方も引きずられているのか。あるいは、言語能力の一部がフランス語に占領されているため、注意が拡散しているだけなのか。
上のスタンダール日記の序は、ここでも何度か取り上げたことのあるドミニク・フェルナンデスさんが書いている。
ドミニク・フェルナンデス 「トルストイとともに」 (2010-02-27)
時の流れを眺め、アンダンテ・カンタービレに辿り着く (2010-06-03)
週の中日の気分 (2010-10-28)
その中で、自分自身であること、自分だけを満足させる作品、200年後も素晴らしいと評価される作品などがスタンダールの頭にあったことを知る。さらに、この場でも何度か触れた生きることと瞑想することの対比を、生きることと生きることを書くという相容れない問題として自らに問い掛け、どう調和させるのかを探っていたようだ。また、スタンダールはパスカルを近くに感じていたようで、フェルナンデスさんは、この日記は宗教色のない 「パンセ」 であると考えている。そう言えば、サルトルはスタンダールになりたかったのではなかったか。目に見えない糸で何かが繋がっている。
サルトル展 (2005-06-20)
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こちらに来て4回目の春を迎えている。
数日前からくしゃみが連続して出るだけではなく、鼻がおかしくなっている。
あれから10年。
次の10年に向けて何かが起こるのだろうか ・・・


