日本最後の夜、そして高村光太郎のパリ |

日本最後の夜はアメリカ時代からお付き合いいただいている東京大学医科学研究所の岩倉先生ご夫妻との歓談になった。いつも寛大に対応していただいているのでありがたい。お仕事の転換の時期も近いとのことで、これから仕事とどのように向き合っていくのか、さらに人生にどのような折り合いをつけるのかという根源的な問に最後は行き着くことになる。これはあらゆる人が向き合わなければならない問で、その解も人それぞれのはずである。ただ、どのような道を進むにしても好奇心だけは持ち続けながら最後まで行(生)きたいものだ、というところに落ち着く。
昨日触れた阿部謹也著 「自分のなかに歴史をよむ」 のなかに高村光太郎の 「パリ」 という詩を見つける。パリに戻る日に読むのもまたよきかな。
私はパリで大人になった。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をもうけ入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も旧も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
必然な事物の自浄作用にあとはまかせる。
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起こり、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生れる。
フランスがフランスを超えて存在する
この底無しの世界の都の一隅にいて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のようだった。
私はパリではじめて彫刻を悟り、
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいわれをみてとった。
悲しい思いで是非もなく、
比べようもなく落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。
(「暗愚小伝」 より)



