予期せぬ熱い会話 Une conversation imprévue et passionnante |
科学祭の一日は最後に不思議な出会いが待っていた。
二つのお話を聞いた後、久しぶりにレストランで食事でも、という気分になる。そこで横の方に座ったのが写真のギー・シャルル・マーリックさん。食事が終わる頃、何気ない言葉を交わす。その中で、奥様が日本人で、今はドイツのフランクフルトで仕事をしていることなどの話が出たので、こちらはいつもの科学の後に哲学のお話をする。そうすると時間があればビールでも飲みながらもう少し話をしないかとのお誘いが。近くのカフェで2時間ほどのお話になった。
シガリロを吸うとのことで外でビールを飲むことに。寒い中、お客さんが外に出ている。こちらではよく見る景色になる。お話を伺うと、フランクフルトに本部を置く欧州中央銀行にお勤めとのこと。哲学の大切さを本場の者に説く東洋人がいるのに興味を覚えたのか、話は哲学や生き方に纏わるものに集中。以下にその一部を。
まず、今の世界がお金を中心に回っていることに抵抗があり、アメリカのやり方には到底納得できないという立場を取っている。フランス人はお金より大事なものがあることを知っていて、その哲学の下に生きているという。彼自身もお金だけでは心の底からの満足は得られないと考えていて、記憶に間違いがなければ収入の多い職から現在の職に移ったようである。そこには自分のためにだけ働くのではなく、チームのためとか何かより深いものを齎すような仕事でなければ満たされないということがあったようだ。そして、ドイツとフランスとの比較になった。意外であったが、実際にドイツに暮らして彼らの様子を見ていると、物質主義的で物事の表層しか見ない傾向があり、不満があるという。日本も本来はそうでない要素の方が多そうだが、少なくとも現状は物質主義に征服されている国と言ってもよいだろう。日本とドイツとの比較ができないのが残念である。
この世界で大切なことは考える(penser)ということ。しかもヴォルテール(1694-1778)からのフランスの伝統である批判精神(l'esprit critique)を以って。フランス人は哲学教育を若い時から受けているせいか、その精神が今でも生きている。その精神のお蔭で、フランス人は現実の中にある問題点を浮き彫りにすること(problématiser)、さらにそれを概念化すること(conceptualiser)に長けている。しかも考える上でのタブーがない。この点は哲学の条件として以前に挙げたこともある自由(考える上での)とも重なるところがある。日本を離れて見るようになり、その言語・思考空間が最初から歪んでいるという印象が強くなっている。社会の圧力なのか、あるいはそれを先取りして自らに課しているのかわからないが、考える範囲に枠を嵌めてしまい、根底から考えるというところが少ないように見える。
それにしてもフランスは実にユニークな国だ、とは彼の言。そして久しぶりに「フランス人は世界で最も不幸な人間だと言われるが、」という言葉を彼の口から聞いた。そうだとしても、この世界を批判精神を以て見ること、そして永遠に変わり続けること(la révolution permanente)がより重要なのだ、と力を込めて語っていた。予期しなかった秋の夜のカフェ。熱い2時間となった。
帰宅してメールボックスを開けると、不思議なくらい意味のあるメールが重なっていた。まず、カナダのマリオンさんから博士論文のために書いた原稿を送った旨のお知らせに、さらに二つの論文が添えられていた。文系の論文は長いものが多いので、対応するのに大変である。また、前日にシャフナーさんにお願いしたばかりの情報がアメリカの数か所から届いていた。こういうところは本当にエフィシャントで気持ちがよい。それから私がこちらに来る前に当時フランス政府留学局におられたフランク・ミシュランさんにお世話になったが、今回は新しい職場を知らせるメールに再会のお誘いが添えられていた。さらに、ブログに出したばかりのパスツールのカーラさんからは内容はわからないが面白い写真を感謝するメールという具合で、嬉しいエネルギーの塊を浴びた一夜となった。