パリの"科学祭"に参加 La Fête de la Science |
昨日は午後から夜にかけて4時間ほどフランスの科学祭(La Fête de la Science)と言われているものの様子を見るため、4世紀の歴史を誇るサン・ルイ病院に講演会を聴きに行く。この病院にはドクターに入ってから科学史のクール(マスター向け)を聞くために何度か訪れている。歴史が残る建物を中心に据え、上の写真のような新しい建物が加わっていて、不思議な落ち着きを持つ空間である。
会場は満員で、ほとんどが若い女性。隣になった人に医学に関係したことを学んでいるのか、と聞いてみたところ、リセエンヌ!という答えで驚く。私服の場合は高校生と卒業生の区別がつかないのは致し方ないかもしれない。ただ、洋の東西を問わず、この年代の女の子は箸が転がっても可笑しいのだろう。誰かが変な音を立てたところ、私の横の生徒さんが笑い出し、止まらなくなった。それを見ていた周りの7-8人にその笑いが伝染し、異様に盛り上がる時間がしばらく続いた。お蔭さまで、ん十年若返らせていただいた。
今日も(?)演者の方が遅れたので(最終的には30分程度か)、オーガナイザーの方がこの病院の歴史を解説していた。そのお話によると、1562年、1596年、1606年に感染症が蔓延し、1607年5月17日にアンリ4世がこの病院の設立を決めたようだ。最初は皮膚の病気(ペスト、梅毒、ハンセン病、乾癬など)が中心になっていたが、20世紀に入ってからは血液疾患に重点が置かれるようになってきた。そこで紹介されていたのが、ジャン・ベルナールさん、ジョルジュ・マテさん、それからHLAの発見でノーベル賞を貰ったジャン・ドセーさんの御三方。学生時代にこの領域の仕事をしていたので体に染みついている名前になる。お話の中でマテさんが先週金曜に亡くなっていたことを知る。享年88。
Dr. Georges Mathé, Transplant Pioneer, Dies at 88 (New York Times)
マテさんは1959年にヒトの白血病治療のために骨髄移植を一卵性双生児以外で最初に行った方で、この治療法を一卵性双生児で1956年に行ったシアトルのドナル・トマスさんはノーベル賞に輝いている。この記事によると、第二次大戦中はレジスタンスとして活動して逮捕され、ポーランドの強制収容所に送られたという。幸いなことに、収容所に着いてすぐに戦争が終わり、このような業績を残すことができたことになる。
最初の演者はパリ大学で血液学を教えているシャロン教授。タイトルが「生物学的な自己と非自己」になっていたので哲学的なところも期待して出向いたが、会場の雰囲気からそれは難しいことがわかったので、一般の方に科学をどのような説明をするのかに興味を切り替えて聞くことにした。日本でこのような発表をする場合、出来るだけわかりやすく、時に面白く説明することが求められていたように記憶しているが、そのやり方にはどこか違和感を抱いていた。すでにコレージュ・ド・フランスの公開講座でこちらの大人に対してそのような配慮がされていないことに気付いていたので、今回は高校生に対する態度を見ることにした。
まず断っていたのは、科学の世界の共通語は英語なので、スライドはすべて英語のまま出しますということ。それから研究の内容をわかりやすく説明するためのスライドは一枚もなく、一般の研究者に対するものと全く同じものを使っていた。ただ、そのスライドの説明には言葉を選び、丁寧に噛み砕いて話をするところに気を配っていたが、。高校生と雖も大人と同様の対応を取っていると言ってよいのだろう。これでこそ科学の生の姿を伝えることになり、改めてこれでよいのだと確認していた。
このスライドは科学という営みには国際的な協力の下に真実とされるものを見つけ出す特徴があるということを示すために出していたものだが、そこには学生時代に参加したデンマークはオーフスでの会議が書かれてあり、若き日を思い出させるものにもなった。シャロンさんのお話は私が研究を始めた当時から始まり、この領域を離れた後どのように発展して行ったのかを概観させてくれるもので、興味深い時間であった。
二人目の演者はやはりパリ大学の免疫学教授で、Inserm(国立健康・医学研究機構)の倫理委員会の代表も務めるジャン・クロード・アメイセン(Jean-Claude Ameisen)さん。もう2年以上前になるが、パリで会議があった時にお話をさせていただいている。今回のテーマは「生物多様性と生命倫理」。現在名古屋で生物多様性についての会議(COP10)が開催中なので時宜を得た今後に繋がるテーマである。彼はスライドなしで1時間語り続けた。以下印象に残ったところから。
生物多様性がなぜ重要なのか。そもそも生物多様性とは新しいものを生み出し続ける能力を意味し、進化する能力に繋がる。したがって、われわれ自身の生存にも重要な意味を持ってくる。この多様性を維持することはわれわれの責任であるだけではなく、膨大な研究の必要性を意味している。一方、まだ40年ほどの歴史しかない生命倫理という概念には、生命科学・医学における倫理という意味と生物をその環境の中で捉える倫理の二つの要素がある。生物多様性と生命倫理がお互いに絡み合っていることがわかる。ここで環境と言う場合、動物や植物を含む目に見えるものだけではなく、この世界の大部分を占める目には見えない微生物の存在にも目を向ける必要がある。われわれ自身もその微生物からできていることは言うまでもない。
残念ながらここ数十年、生物多様性が傷つけられ、新しい生物を作り出す能力が落ちている。ダーウィンはもう130年も前に多様性を破壊する懸念を書き遺している。一般的には深い考えもなく何かをやった(ここでは破壊した)後にその対策を考えるのだが、ダーウィンは先を見て考えていたことがわかる。この世界は多くの生物が共存して均衡状態を保っているので、ある特定の状況に不都合が出たからと言って、単純にそれを排除すればよいという訳にはいかないし、そうすると多くの問題が出る可能性がある。これは外の世界の出来事だけではなく、われわれの体の中の細菌についても当て嵌まることが最近の研究で明らかになりつつある。
ここで注意しなければならないのは、生物多様性が単に種の多様性を意味しているだけではなく、種の中の個体の多様性をも含んでいる点である。そして個体の多様性の中には、ある年齢層の中での多様性だけではなく、時間軸に沿った多様性も入る。優生学的な考え方には常に警戒の目を向けなければならない理由がここにある。また最近の研究によると生物の運命は生まれつきの遺伝子だけではなく、環境が遺伝子の働きに重要な影響を及ぼしていることが明らかになってきている。環境というコンテクストの中で生物を考えることの大切さが益々増している所以でもある。
世界的にみると、科学的な原因よりは社会・経済的な原因が人間の運命を決めている場合が多い。つまり、経済的な要請を無条件に受け入れてよいのか、環境や生物多様性を破壊するような営みにどのように対していくのかがこれからの大きな問題となる。レッセフェールでやりたいようにやらせるのか、厳格な計画を立てるのかという問題でもある。しかし、アメイセンさんはこの両者とも幻想であると考えている。自由放任は論外であるし、自然の未来を予測して計画を立てることなど不可能だということなのだろうか。いずれにしてもこれから経済活動を見て行く場合、それが健康、平和、正義、生物多様性にどのような影響を与えるのかを考えることが不可欠になる。その時、自らと異なるものに対する敬意、共に分かち合うという感覚が求められるだろう。われわれの生き方、考え方を変えることなく、この問題の解決はないという結論に落ち着いていた。
この日はこれでは終わらなかった。
(つづく)