ふたつの沈潜レベル |
久しぶりに朝のバルコンに出て、晴れ渡った空に昇る朝日をみる。
その空に自在に描かれる飛行機雲を眺めながら。
こういう時、パリに戻ったことを噛みしめる。
すでに4日目を迎え、以前の精神状態に戻りつつある。
それはなぜか日本では達することのできないレベルなのだ。
日本との違いをどう説明できるのか考えてきたが、いまだによくわからない。
今のところの大雑把な印象は以下のようなものだ。
こちらでは理性的に考えることのできる一番低いレベル、根に当るところに静かに落ち着くことができる。
おそらく、日本ではそれよりさらに深い日本人としての根の部分にまで達することになるのではないか。
理性がどこかに消え、もやもやとした得体の知れないものが渾然となった状態へ。
日本での沈潜では一番深いところの上にある、理性が支えるもう一つの根のレベルで止まらない。
それがなぜなのか、今はわからない。
そのレベルで自らを止めるにはどうすればよいのか、そのレベルでどのような反応を示すのか。
それを今観察し、探ってているような気がする。
ひと月ぶりのパリの週末。
そんな思いが過っていた。