当たり前が当たり前ではない、そして学生さんとの会話 |

学校の教室は7階にある。エレベータはない。日本では考えられないが、こちらでは稀ではない。毎朝、体を使わされるが面白い時間になっている。昨日、先生から興味深い指示があった。エッセイは手書きでお願いしますという。今の時代、下手な字で書かないでワープロで出すのが当たり前かと思っていたが、この先生は違うようだ。それぞれの字体も味わいながら採点するのだろう。ワープロではその情報が失われると考えている。さらに、エクスポゼではパソコン使用禁止。言葉と体で自分の考えを表現すること、それが大切だという。グローバリゼーションの今、出てきそうにないその主張にはわれわれ(私)が忘れていた何かが含まれているように感じ、目を開かされた。また、滞在期間を意味するdurée du séjour のduréeとdurationとの違いは?と質問して学生がその説明を始めると、durationなどというフランス語はありません、というような引っ掛け(questions pièges)をところどころに織り込んだりするので、油断できない。
昨日、今日と学生さんと言葉を交わす。プエルトリコからの3人組は声が大きく、開放的で元気がよい。まだパリが1週間なので大変だという。自らを振り返るとよくわかる。現在芸術を勉強しているが、アメリカよりはヨーロッパの芸術が気に入っているのでフランス語は欠かせないとのこと。その中の一人は日本語を勉強したことがあり、日本文化も好きですよ、と付け加えてくれた。今日横の席になった女性は、初日の紹介で中国から留学している大学生だと思っていた。しかし、クールが終わった後話してみると、少し状況が違うようだ。5-6年前にこちらに移住してきて、最近バカロレアを終えたばかりの18歳。この秋から大学生になるという素直な学生さん。発音そんなに悪くないですよ、と慰めてくれるだけの優しい心も持っている。気がつくと数ブロック歩いていた。変なオヤジが何をやっているのかとも思われかねないが、パリでは景色の中に埋もれてしまうだろう。それからフォネティックが始まる前、オーストラリアから来ている学生さんからどんな哲学をやっているのですか?と英語で声をかけられる。説明を終えると、どうして始めたのですか?と問いを進めてきたので、いつものように答える。本当にそうですよね、と納得して聞いていただいた。こちらからも聞いてみると、彼女は3年前からフランス東部の大学でアルシーヴ(の運営?)について勉強しているとのこと。浮ついたところがなく、どこか醒めたところさえある女性であった。
昨日の瞑想の結果でもないが、文字の世界から音の世界へ移行するため、夜Web-TVを1時間ほど見る。丁度、日本料理が紹介されていた。言葉を習得するのに早道はないだろう。今までほぼ完全に遮断されていたテレビの世界に、これからは積極的に触れていきたい。


