未だ異分野の中に漂う |
パリに戻って最初の週になる今週は、1週間の会議に参加している。未だこちらのペースに完全には戻っていない。一つには哲学・倫理から科学の世界に戻ったことがあげられる。それに輪を掛けてテーマが初めてのこともあるだろう。人文社会科学の余韻が残る中で聞く初日の違和感はどうしようもないものがあった。
専門家が集まって、その集団でしか通用しない言葉で何やら話し合っている。参加者の名簿を見ても意味のない文字が並んでいるという感じで、現役の時に自らの分野の会議に出た時とは全く違う。ひょっとするとこの状況は現代社会そのものを表わしているのかもしれない。このような小さなグループがこの世界には無数にあり、皆さんがその枠の中のことだけを考え、その枠の中だけで生きようとしている。それぞれが特有の言葉を使っているので相互の意志疎通が難しくなっている。無数の点を繋ぐには共通語が求められるが、そのもとになるのは文系の教養とでも言うべきものになるのだろうか。
これは以前にも触れたが、このような状況でお話を聞いていると、内容よりはスライドに現れる美しさ、それは自然に内在する美とも言えるが、それを探すようになっていた。上の写真もその一つになる。現代芸術としても通用しそうである(?)。このような異文化交流では一つか二つでもヒントを掴むことができれば運が良いと考えることにしているが、幸いなことにこれからに繋がりそうなお話をいくつか聞くことができた。
それから思わぬ再会があった。
昨年7月、ケンブリッジ大学であったダーウィン生誕200年、「種の起源」出版150周年を記念した会があった。その時にお会いしたジョン・コブリーさんを最初のコーヒー・ブレイクの時に見つける。知った人が一人もいない会に出ることには慣れてしまったが、知り合いがいるとその領域が一気に近く感じられるから不思議である。
お話を伺うと、現在これから先のことを考えていて、あと1-2年で研究を辞める方向だという。この時期の研究者はよくデプレシヴになるとのことだが、彼は人生の最後の1/4に最良の時間が訪れると考えているようだ。奥様には日本人の血が半分流れているためか東洋にも興味があり、ヨガもやっているとのこと。体を使いながら自らの中を探検するのは素晴らしいものがあると語ってくれた。
私の専攻を知っているので、あのフランス人の発表は気に入っただろうと聞いてきたが、まさに正解であった。フランス人科学者の発表にはどこか情念のようなものが漂っていて、仮説や哲学を躊躇いなく入れるところがある。したがって、その後で米英の科学者の発表を聞くと、頭の中が晴れ上がるように感じる。私自身がその影響下にあったためだろうが、フランス人の立場でアングロ・サクソンの発表を聞くとどうなのだろうかなどと初めて考えていた。
彼はイギリス人なので当然だろうが、フランシス・ベーコンに始まる思考、アングロ・サクソンの伝統的思考が気に入っているとのこと。ダーウィンが40年以上住んでいたダウンの近くで子供時代を過ごしたようで、ダーウィンに対する思い入れも強いものがあった。そして、今日のコーヒー・ブレイクでのこと。私の研究テーマを聞いた後、それならばこれを知っているか、まだであれば調べてみる価値がある!と言って貴重な情報を提供していただく。今回の一番の収穫になるかもしれない。会は明日で終る。