モンペリエ4日目 (IV) ラウル・デュフィの人生、そして海辺の墓地 La vie de Dufy et le cimetière marin |
セットのポール・ヴァレリー美術館でラウル・デュフィの特別展「地中海のデュフィ」を観る。
Raoul Dufy (3 juin 1877 au Havre - 23 mars 1953 à Forcalquier)
入ってすぐのところに彼の滞在した跡が年表と地図に描かれていた。これほど移動していたとは知らなかった。その地図にあった地名は以下のようになる。
MAROC
Tanger, Meknès, Fès, Casablanca, Marrakech, Demnate
ALGERIE
Alger, Constantine
ESPAGNE
Séville, Tolède, Madrid, Barcelona, Caldes de Montbui
FRANCE
Céret, Perpignon, Martigues, Marseille, Tarascon, l'Estaque, La Ciotat, Hyères, Cannes, Golfe Juan, Nice, Vence, Forcalquier
ITALIE
Venise, Florence, Rome, Naples
SICILE
Taormina, Calatabiano, Catane, Alcantara, Scordia, Syracuse, Caltagirone
ノルマンディの町ル・アーヴル (Le Havre) に生まれた彼は、1903年に南仏の町マルセイユとスペインのマルティーグを訪れ、すぐに惹かれる。それからモロッコ、スペイン、アルジェリア、南仏、イタリア(シチリア島)などを訪問するだけではなく、そこで暮らし作品を残している。そして、1952年にフォルカルキエに落ち着き、翌年その地で亡くなっている。75年の人生の内、50年を40か所にもなろうかという南の光の中で生きたことになる。北の町で若き日を過ごしたデュフィが南仏の光に触れた時、彼の中で何かが変化したのだろう。そこには他人の人生とは思えないものが潜んでいるように感じていた。
彼のこんな言葉が壁に書かれてあった。
« Peindre c’est faire appaître une image qui n’est pas cell de l’apparence des choses, mais qui a la force de la réalité. » (Raol Dufy)
「描くということは、もののうわべのイメージではなく、現実の力強いイメージを表出させることである」 (ラウル・デュフィ)
ヴァレリー関連の展示はそれほどのものはなく、あっさりと見終わる。ブティックにも作品や珍しいものは見られず残念であった。途中、物凄い音で雨が降り出した。珍しいことだという。最後の1時間ほどを館内のブラスリーで過ごす。雨が小降りになったので外にあったソファに落ち着き、ワインとともに目の前に広がる地中海と海辺の墓地を味わう。セット駅前に出た時には想像もできなかった時間が訪れ、完全にこの景色の中に入り込んでいた。礼を言って店を出る時、マスターが声を掛けてきた。
「ムッシュー、お勘定が終わっていませんが、、、」