どこまでも晴れ上がった空の下、メチニコフの声を聞く |
今日はペンテコステ (Pentecôte)。聖霊降臨の祝日。明日は Lundi de Pentecôte で三連休であることが判明。週の内で一番気に入っている時間が土曜の午前中。この週末はそれを二度味わうことができることになる。
私にとっての二度目の土曜の午前、夏の陽を思わせる光を浴びバルコンにいた。その時、最近注目を浴びるようになっている腸内細菌のことが浮かんできた。その役割が次第に明らかにされるに従い、思いもかけない彼らの姿が浮かび上がっている。われわれにとっての彼らの存在理由が明らかになる。彼らとの抜き差しならない関係は、われわれの存在についても新しい見方を迫るところまで来ている。頑なに城壁を作り外界に対していると言うよりは、この存在は世界に開いていることを教えてくれる。頭で考え抜いたモデルではその全貌を掴むことができないほど、この自然は得も言えないことをやっている。周辺の野蛮人と敵対するのではなく、彼らを逆に自らの軍隊に組み込み国の安定を図った古代ローマ人も驚くようなことを。
そこで思い出したのが、もう1世紀ほど前に腸内細菌と健康について考えていた科学者のこと。ここでも何度か取り上げているエリー・メチニコフ。彼の声を聞きたくなり本棚を調べたところ、出てきたのがこちらに来て早々に仕入れたこの本になる。1903年に出された人間の性質についての哲学的考察。科学の著しい進歩によりわれわれの物質的な状況は改善されたが、科学ではどうしても説明できない道徳的、哲学的問題、突き詰めると人間とは?という問が残るとの問題意識で本書は始まる。
この本、この1世紀の間、どんな人の手を経てきたのだろうか。
ウィステリア色の空の下、縁がやや黄ばんだ硬質のページを捲りながら彼の思索の跡を辿る。
最初に古代ギリシャからの哲学の流れを概観した後、比較解剖学的視点から自然界における人間の位置を探っていく。ダーウィンの「種の起源」からほぼ半世紀。彼はその影響を強く受けている。同時に、ダーウィンの考えを認めないインテリもいたことがわかる。今日は数章を読み終えたところだが、目次を見ると興味深い問題が取り上げられている。折々に読んでいきたい。