久し振りの哲学セミナー、そして街ゆく人を眺める |
昨日の朝はセミナーを聞くため、久し振りに大学へ。
演者はカリフォルニア大学サンディエゴ校で哲学を教えている方だが、科学と密接な関連を持ちながら研究されていた。科学の性格を分析するため、時間生物学をモデルとして使っている。実のところ、講演を聞きながら、これが哲学者のお話なのかと思われるくらい科学の中に入っている。違いは科学の成果を自分が出したのか、人のものなのか、だけになる。確かに、科学は科学者だけのものではない。誰が科学について考えてもよく、むしろ多くの人が参加する方が望ましいのかもしれない。ただ、科学とは、という切り口で入るよりは、科学の中から自らの考えを起こしていく方が、科学を経てきた者としては親しみが湧く。
お話が1時間で、ディスカッションが1時間。この領域では珍しくない時間配分。科学の領域では、ディスカッションの時間を長く取ることはなかった。時間の流れが忙しなく、そんな悠長なことはしていられないという空気があったようにも見える。ただ、最近ではこのゆったり感も気に入り出している。
今日のテーマの一つが、ここ200年ほど主流になっている還元主義的、分析的アプローチの限界とそれを如何に全体へと戻してゆくのかという問題。そこに数学モデルが有効に使えないかを探っていた。他に全体に辿り着く道はないのか、このようなアプローチを模索する過程で哲学者はどのようなことができるのか、などいくつか疑問が湧いたので、ディスカッションに参加。充実した2時間となった。
セミナーで丁度横になったThierry Hoquet さん。最近日本語を少しづつ始めたところと言って、ナップサックの中から本を出して見せてくれる。どうしてかと聞くと、日本に行くためとのこと。いずれ日本語で話しましょうと言って別れた。
学校までの時間、他の会に参加することにしていたが、予定変更。数時間、ぼんやりと街ゆく人を眺めながら、浮かんでくるものを一つひとつ拾っていた。途中、昔の目でその姿を見ていたが、月曜の昼間からこんなことをしているとは、という思いと、先日のコスリさんではないが、これこそ自らの頭と目で生きる生き方かもしれないという思いが交錯していた。最近では前者の思いはほとんど出てこなくなっている。
学校は今週で春休みに入るようだ。
季節は流れている。