ゆったりと日常を振り返る |
この週末は久し振りにゆったりした気分でいる。丁度夏時間への切り替えがあるが、これまでのように慌てることはなく、早めに身の回りにある時計をすべて1時間早めておいた。
こちらに来て3年目に入り、マスターとしての最初の2年も遠くから眺めることができるようになりつつある。今、日本にいる時の生活ペースに近くなり、この2年という時間はこれまでに経験したことがないほどに必死にやっていたことが見えてくる。目の前に高い山があり、そこをどうやってよじ登り向こう側に辿り着くことができるのか、それだけを考えていた。しかもフランス語も哲学も言ってみればゼロの状態からなので、地図も登山道具もなしに登ろうとするにも等しく、狂気の沙汰だったかもしれない。その意味では貴重な2年間だった。以前にも感じていたが、私のような状態の者はマスターから来て正解であった。これからも折に触れて、この2年という塊の意味を考えることになるだろう。
昨日は自分で書いた記事にやや興奮状態で、お昼から街に出てコスリさんの本でも探してみましょうかという気分になっていた。入ったリブレリーに彼のセクションがあり、全作品集2冊と1995年のインタビューを仕入れていた。こちらに来てからの異常行動である。先日のMD氏とのデジュネでもこのことを話した。つまり、興味がどんなところにも向かってしまい、処理できるかどうかは問わず、とにかく触れようとする状態について。彼の反応は、何事にも休止状態と活性化状態がある、常に興奮状態にあるのは少々危ないのでは、と笑っていた。
早速、すぐ近くのカフェでインタビューの方を読み始める。すでに映像を見ているせいか、答えが予想され、どんどんと進む。その中で彼はインタビュワーにこう語りかけるところがある。私が寡作なので助かるでしょう、もし30冊40冊も書いている作家だったら全部読むのが大変ですよ。少しだけ皮肉を込めた口の歪みが目に見えるようだ。私の口元も緩んでいたかもしれない。
本の冒頭にアラブのカフェについての形容で使われている言葉がわからなかったので、カフェのご主人に聞いてみた。
« [...] aux cafés arabes, là où la vie sans contrainte s'écoule ― avec un peu de haschisch ― sous le sablier du temps. »
この中の sablier だが、ご主人は親指と人差し指で弧を作り、それを上下にゆっくり回す仕草をしながら教えてくれた。アラブのカフェでは人生が何の気兼ねもなく、砂時計の時間のように流れているという。これまで間接的に見てきた景色とよく重なる。そこにハシシュが少し加わるようだ。あなたの小説にはよくドラッグが出てくるようですが、と聞かれたコスリさんは、オリエントではハシシュはドラッグと見做されていない、アメリカ映画の主人公がウイスキーを飲み、フランス映画ではそれがワインになるように、オリエントではそこにハシシュが出てこないと不自然なのだと答えている (エジプトにおけるハシシュの歴史的考察はこちらから、また世界における現況はこちらで見ることができる)。
カフェを出て少し歩くと以前メトロで見て気になっていた " La Révélation " をやっているシネマがあったので入る。原題は "Storm" で、この題であればおそらく観ようという気にはならなかったかもしれない。別の世界を覗かせてもらったが、自分の感情が動くということはなかった。
バルコンに出ると丁度霧雨が降り始めたところ。
中庭に住みついている猫が下で動き回っている。
さらにゆったりした気分になりそうな日曜である。