
テルアビブを出る朝、ネットが繋がらなくなり近くのカフェまで足を伸ばす。
そこでメールなどをチェックした後、数時間ほどぼんやりする。
比較的カラッとしているが相変わらずの暑さである。
ここまで暑い日が続くと、体が精神の束縛から解き放たれるような気分になる。
あるいは、精神から忘れ去られた体が戻ってくるとも言えるかも知れない。
ホテルに戻る途中、久しぶりの香りが流れてきたのでその出所に入ってみる。


手頃なものがあったので、いくつか仕入れる。
店の中の人は何か珍しいものでも見るようにしていた。
ホテルで少し話してからタクシーを呼びとめる。ドライバーが急に車線を変えたため、危うく轢かれそうになったバイクに乗った若者がすごい剣幕でわざわざドライバーのドアの横まで移動して怒鳴りつけていた。空港では、イスラエルのこれまでの歴史を記念するポスターが展示されていた。また、会議で一緒だったオックスフォードのピエトロ・コルシさんと一緒になる。今月末にパリで会があるので、再会を約して別れた。


時間がたっぷりあったので、町では寄ることができなかった本屋さんに入り、英語の本になるが数冊仕入れる。帰りの機内では、仕入れたばかりの
Natan Sharansky さんの "
Defending Identity" という本を読みながら来た。まだ日本語に訳されていないようである。
シャランスキーさんは自らの人生を振り返り、ソ連での従順な市民としてその体制の中での成功を求めた時期、反体制活動家としての9年に及ぶ強制収容所生活、そしてイスラエルで政治家として活躍するという3つの時期を過ごしたとしている。この本ではアイデンティティと自由との関係を考えている。強烈なアイデンティティを持つようになるとイスラム原理主義に見られるように自由への脅威になると考える人がいるが、彼はこの両者は頼りになる同胞だと考えている。それはアイデンティティと自由の両方を長い間奪われた貴重な経験から生まれているのだろう。
そもそもアイデンティティとは何を意味するのだろうか。シャランスキーさんの考えを私なりに翻訳してみたい。それを定義するのは難しいが、敢えて一言で言うと、「他」との繋がりの中に自分を見るということになる。その「他」の中には、時の流れがある。歴史との繋がり、過去、現在、未来の中に置き直した時に見える自分。それから「他者」がいる。それは今自分の周りにいる人だけではなく、歴史の中に生きた人、自らが属していると考えているグループの人、さらに言えばこれから続く人などの中における自分。大きく言うと、自分の肉体、単なる存在を超えた際限なく繋がる網の目の中に見える命の感覚。その感覚に至った時、この人生に全く違った光が当たることになる。
民主主義は自らの道を選び、その目標に向かって歩む自由を保障する制度である。アイデンティティは自らを超えたところとの関係を通して、その過程に意味を与え、われわれの生を深みのあるものにする。この人生がどんなものなのかを知るだけではなく、それが何のためにあるのかに想いを巡らせる機会を与えるものである。シャランスキーさんもロシア革命が自分の歴史の始まりだと思っていたが、ある日、それは数千年遡ることに気付くことになった。そして、こう結論する。民主主義のないアイデンティティは原理主義や全体主義に導く。そして、アイデンティティのない民主主義は浅薄で意味のないものになる。
彼は強制収容所でのKGBによる取り調べの過程にも触れている。そこで問題になるのは、内なる声(良心)、内なる自由である。自分を裏切ることができるのか、どうして自分を裏切ることになるのか、という問題である。KGBの論理は至極単純である。協力すれば楽になるというものだ。そして、それを理解させるためにあらゆる手を使う。しかし、KGBの論理に乗ることは取りも直さず自らの内なる自由を捨てることになる。それに耐える鍵は、上で見たような「他」との繋がりの中でのアイデンティティになるのだろう。ソクラテスが蘇り、オデッセイやラブレーから死の恐怖に立ち向かう勇気を得ることになったという。その中で、この素晴らしい人生は生きるに値するだけではなく、ある時には死にも値するものがあるということを学ぶことになる。自らに忠実であるためには強くあらねばならないと言い聞かせることになる。・・・パリに着くまでには、このあたりまで辿り着いていた。
アイデンティティを網の目の中の自分と捉えるシャランスキーさんの見方だが、わたしがこうしているのも時間や空間を超えたところから自分を、そしてそこを取り巻く網の目そのものを見直してみたい、という思いから来ているので、ほぼ完全に重なるところがある。その視点を得ることができると、すべてが意味を帯びてくる。意味を見出そうとする。たとえ、答えがでないとしても求め続ける内なるエネルギーが生まれてくる。触れるものすべてが繋がりを見せてくるのだ。シャランスキーさんのような体験を経ているわけではないのでそれほど強いものではないかもしれないが、それを何と呼ぶにせよ、持ち続けなければならない貴重な視点のように感じていた。

今回の短い滞在では確かなことは言えないが、エルサレムの街中で多様な人の波を見ている時、ひょっとしてこの町はここに住んでいる人にとっても外国なのではないか、という思いが湧いていた。世界で最も多くの外国人を受け入れている国に入るらしいので、ある意味当然のことかもしれない。外に開いているのだが、内が外に捲れ返り、内側の粘膜が外気に触れているという印象である。日本人がぬくぬくとした家の中に丸まり込み、内輪の話に明け暮れているように見えるのとは対照的で、ここから眺めるとその落差が益々際立ってくる。旧市街に向かう時に出会った紳士は、それを幸せに感じて一生を終えることができるとすればこれに越したことはないのではないか、ということになる。また、イスラエルの若手の研究者がストレスの生物現象に与える影響について発表する時に、それはまさにこの町で常に緊張とストレスの中で暮らす影響と言ってもよいでしょう、と冗談めかしたおそらく本音の比喩を使うことにもつながっているのだろう。
パリに着くと、出発前の精神状態がどういうものだったのか思い出せないくらいで、異次元に戻ってきたように感じていた。それは旅の効用を充分に生かせた満足感に繋がるものであった。
テルアビブ出発直前にイスラエル音楽を求めることを思い付き、お店に入った。そこの店員さんが的確なアドバイスを矢継ぎ早にしてくれたお陰で、好みのものをいくつか見つけることができた。テルアビブに迫る暑さのパリの日曜の朝、その音楽を聴きながらこの1週間を振り返ることになった。至福の時の流れとでも言えばよいのだろうか。
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(lundi 15 juin 2009)特にエルサレムの街中でのこと。
茶色の制服を着た若い男女の兵隊が闊歩し、その手に機関銃があることも稀ではない。
バスに客として乗り込み、銃をすぐ横に置いて座るので最初は抵抗があった。
しかし、わずか数日で慣れてしまうから人間の感覚は恐ろしい。
その事実さえ忘れるところだったのだから。