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2010年 03月 08日
![]() 本日は快晴。しかし、このところ風が冷たい。 相変わらずの寝不足だが、読んだり、書いたり、プロジェを考えたりしながら過ごす。 それから学校のフランス語も少しやる。こちらの方は文学系だが、どうして次から次に知らない言葉が出てくるのかとただただ感心。完璧主義者であれば、体がもたないだろう。学校は何気なく行っているが、聞き取りあり、宿題あり、試験あり、エッセイの課題ありで、なかなか忙しい。それだけこちらが反応せざるを得ない状況にいるので、長い目で見ると少しは効果があるのかもしれない。 教科書の中に、その昔拾った16世紀の名前を発見するのも懐かしく、嬉しいものである。 ジョアシャン・デュ・ベレー Joachim du Bellay (1522 - 1er janvier 1560) 最初は彼の "Heureux qui, comme Ulysse, a fait un beau voyage..." という詩に反応し、後にフランス語を創った5人に入っていることを知った。 Heureux qui, comme Ulysse... Heureux qui, comme Ulysse, a fait un beau voyage, Ou comme cestuy-là qui conquit la toison, Et puis est retourné, plein d'usage et raison, Vivre entre ses parents le reste de son âge ! Quand reverrai-je, hélas, de mon petit village Fumer la cheminée, et en quelle saison Reverrai-je le clos de ma pauvre maison, Qui m'est une province, et beaucoup davantage ? Plus me plaît le séjour qu'ont bâti mes aïeux, Que des palais Romains le front audacieux, Plus que le marbre dur me plaît l'ardoise fine : Plus mon Loir gaulois, que le Tibre latin, Plus mon petit Liré, que le mont Palatin, Et plus que l'air marin la doulceur angevine. Joachim DU BELLAY, Les Regrets (1558) 幸いなるかな、ユリシーズのように ・・・ ジョアシャン・デュ・ベレー 幸いなるかな、ユリシーズのように、さてはまた、 金羊毛を獲得したあの男のように、みごとな旅をした者は、 そのあとで、経験と分別をたっぷり具え帰郷して、 余生を、肉親たちのなかで過ごせる者は! ああ、いつの日に私はふたたび見るのだろう、私の小さな村の 暖炉から煙が立つのを。そしてまた、いかなる季節に、 ふたたび見ることであろうか、貧しいわが家の農園を、 あれは私にはひとつの王国、いや、それ以上なのだけれども? ローマびとの宮殿の威圧的な正面に比べても、 私には、自分の先祖が建てた住居のほうが好ましく、 頑強な大理石よりも、きゃしゃなスレートのほうが、 ラテンのティベール河よりも、わがゴールなるロワール河、 パラティヌスの丘よりも、わがささやかなりレの村、 海の気よりも、アンジュー地方の甘やかな風が好ましい。 (『フランス名詩選』 より、入沢康夫訳) 2010年 03月 04日
![]() 3年目に入ってからフランス語を学びましょうか、という気分になってきていることについては以前に触れた。それを実行に移すことにした。私の場合、強制力が加わらないと続かない可能性があるので学校に通うことにした。基礎の基礎から始まっているが、この感覚はデジャヴュである。 科学での生活を終え、フランスで哲学を学び始めた時に似たような感覚が襲っていた。それまでは深く考えることもなく現場でやっていたその行いにある角度から光が当たり、その姿がよりはっきりしてくるという感じだろうか。雑然としていたものの中にある枠組みが見えてくるとも言えるだろう。それによって逆に科学の現場を見直す新たな視点が与えられることにもなった。詩的に言えば、清々しい風が頭の中を吹き抜けたように感じていた。 フランス語に至ってはとにかくその音の中に飛び込むことから始めたが、フランスにおいてもそのやり方は変わらず、フランス語と哲学の荒海に身を投げ入れた感がある。哲学については未だに沈んだままだが、フランス語についてはこのような学びの中でその構造が少しずつ見え始めているように感じる。それは哲学が科学に対して及ぼした効果のように、日常の中でフランス語を読む時に、ある枠組みを頭に置きながら構造を眺めることに繋がっている。実践と理論の相互作用が相乗的な効果を生む可能性を信じたいものだ。 ところで、フランス語には "franc" という言葉があるが、正直な、という意味のほかに、自由な、という意味もある。当時から自由を大切にしていた表れなのか、それがフランスの国名にも入っている。そして今でもこの国の民は自らの国を自由の国と称している。おそらく誇りを持って。そういう空気が住みやすく感じさせてくれている一因かもしれない、と先生の話を聞きながら思っていた。 2009年 09月 27日
![]() Richard Westall (January 13, 1765 - December 4, 1836) 昨日は快晴だった。 いつものようにバルコンに出て、鳥の行き来を眺め、空ゆく音を聞く。 先日のユーミンの 「翳りゆく部屋」 を何度か聞きながら。 最近、ギリシャに縁があるが、今日も古代の話題をひとつだけ。 « Epée de Damoclès » = Péril imminent et constant ; Danger qui plane sur quelqu'un. 「ダモクレスの剣」 今そこにある危機、誰かに迫る危機 この表現はホラティウスやキケロにも見られるようだが、よく使われるようになったのは19世紀に入ってからという。 紀元前5世紀。ダモクレスはシラクサの暴君ディオニソス (Denys l'Ancien, 431 av. J.-C. - 367 av. J.-C) の臣民であった。ある晩餐の席でダモクレスは主君にこう打ち明ける。「あなたの権力と富をどれだけ羨ましいと思っているか」 と。それを聞いたディオニソスは、暴君の生活は考えられているようなものではないことを教えようとする。謀反を起こす者、毒を盛る者に目を光らせなければならない。妻だけではなく愛人をも満足させなければならない。浪費するために貧しい者たちから収奪しなければならない。・・・ それでもダモクレスはその一言も信じない。そこでディオニソスは、ダモクレスに王座に座らせる。それから、馬の尻尾の毛を一本抜き、剣に結びつけダモクレスの頭の上に吊り下げる。そしてこう言った。 「さあ、饗宴を楽しむがよい。私の立場に最後までいるがよい。間違いなくこれまでとは世界が違って見えるはずだ」 2009年 06月 30日
![]() 今日も暑い日である。夏なんだから当然かもしれないが、、。 ところで、昨日のこと、あれっと思ったことがあった。 普段アパルトマンにいる時は、気持は日本の状態に保たれている (つもりである)。こちらで仕事をしなければならないというプレッシャーがないためだろうか。こちらに同化しなければならないという自らに向けるプレッシャーがないためかも知れない。あるいは、テレビを見ないためにこちらの生の情報が日常的に入ってこないことも大きいだろう。しかし、一旦外に出るとそこはフランス。特に町中に行くと、そこには観光地のパリがある。ありがたいことである。それゆえ、いつも不思議に感じているのは、日本からあっという間に観光地に来ることができるという感覚である。現時点では、精神的に日本にいる時とほとんど変わらなくなっている。今度のフランス滞在の驚くべき点は、まさにこの点にある。 そこで、昨日のコロックで感じていたちょっと違う不思議になる。それは、お前さん、今ここで何やってるの?という感覚である。フランスの大学で、フランス語の抄録を読み、フランス語のお話を聞き、特に不思議に感じていたのは、イギリスの老紳士と英語ではなくフランス語でお話していた時である。自己の認識が西洋と東洋でどのように違うのかについて。それも外国人同士のせいかほとんど違和感なく。一体どうしちゃったの?という思いであった。それが不思議な違和感として迫っていた。イスラエルの会議と同じように、会場で唯一の東洋人ということもその違和感を増幅していたはずである。 英語とは違い、私のフランス語は始めて日が浅いので、どこかに自分のものではない異物のような感覚が常に付き纏っている。まだうまく説明できないが、フランス語と接触する時、どこかに気恥ずかしさのようなものがある。そういう背景があるので、それを必死に操りながら人と話をする時、言葉で相手を動かしているという感覚が押し寄せるのだ。自分のものではない道具をあれこれ組み合わせながら何かを作り出す時、それを見ていた相手が反応することを不思議がっている節がある。そこに悦びのようなものを見出しているとも言えるかも知れない。 昨日の昼休みに散策中、久しぶりに目にした Le Point の文化欄には、コレージュ・ド・フランス教授のクロード・アジェージュ (Claude Hagège, 1936年元旦生れ) さんの言葉に関するお話が載っていた。タイミングが良すぎる出来事である。この方、最近 "Dictionnaire amoureux des langues" という本を出している。どの言葉も女性のように愛しているそうだが、英語の優越性には苛立たせるものがあるようだ。コミュニケーションの道具としての共通言語を認めると、そこにヘゲモニーが生まれる。この流れに抗するためには、1975年にケベックがやったようなフランス語を唯一の公用語とする法制化が求められる。当時は嘲笑もされたが (tout le monde s'en est gaussé)、それは正しいやり方だったと考えている。そうでもしなければ、あと2世紀も経つと、われわれは皆、英語を話しているだろうと語っている。 2009年 05月 29日
![]() 今日も午前中はコレージュ・ド・フランスへ。少しは印象が変わるかとの淡い期待を抱きながら。しかし、冷静な予想通りだったので最初の中休みで出て、午後のクールがある Paris 7 へ向かった。今日の論文を読みデジュネを取る。クールは来週が最後だと思っていたが、ひょっとすると今日が最後かも知れない。いずれ連絡が入ることになった。 ところで、こちらに来てから大学やラジオなどでフランス人の話を聞くようになり、いろいろなことに気付いている。その一つが、彼らが話す中で使う Pourquoi ? である。おそらく、フランス人の話す一つのパターンになっているのだと思うが、あることの背後に何があるのかを話す時に "Pourquoi ?" と自問する形を取ってから、直ちに "(C'est) parce que..." と自らの考えを説明し始めるのである。日本ではほとんど聞いたことのない話し方になる。歴史の産物なのだろうが、論理を話の中に組み込もうとする精神の名残のように勝手に感じている。 まず何かを投げかけてから説明をするという形は、フランス語を始めてしばらくして気付いたが、話にダイナミズムを与えているように思っていた。例えば、「生きることは哲学することである」 という代わりに、「生きること、それは哲学することである」 と言うことがある。ショーペンハウアーはこの言い方を 「膠でつないだような卑しい言語」 とし、それを真似するドイツ語表現を酷評していることをハンモックで触れた (2006-01-06)。私も利用させていただいているので、ショーペンハウアーの厳しい声が聞こえてきそうである。 それから、私が話すフランス語を理解できない人がいるが (残念ながら無視できない数になる)、そういう人の話すフランス語は私も理解できないことが多いことにも気付いている。発音もあるだろうが、使う文型が全く違うような印象がある。おそらく、フランス語の中だけで生活している純度の高い表現に溢れているのではないだろうか。わたしのフランス語を理解する奇特な方は、外国語との接触がある方が多く、想像しながら正しいフランス語に翻訳してくれたりする。相当に道は遠そうである。 ![]() 2009年 05月 03日
![]() 今日は終日曇り。 久しぶりにゆっくりと日本語の本を読む。 フランス語だけの世界にいる時、日本語に直したその言葉が訴えかけてくることがある。 最初からその言葉を日本語で聞いた時には感じないような力をもって。 促す力、霊感とさえ言えるものを与えてくれる。 その言葉を包んでいる周辺の、あるいは本全体の空気なのだろうか。 魂を奮い立たせるその訳は、まだよくわからない。 2009年 04月 03日
![]() フランス語に触れ始めた当初、フランス語の文面に感じた違和感を思い出した。英語が染み付いた感受性から見た時のものになる。 まず、« »。なぜ " " ではないのか。それから英語では " " の間に入る言葉がスペースを入れずカッコにくっついているが、« » ではスペースが入る。また、« » の引用の中に誰が語ったのかを差し込むのはよいが、それが « » の中に入ったままなのである。 それから、英語の場合は言葉の終りにコロンが吸い付くが、フランス語では : の前にスペースを入れることである。同じように、? や ! の前にもスペースを入れる。これは英語ではやらない。 まだ、ある。本などの場合の目次に当たる Table des matières が後ろに控えている。これも違和感があった。まだあるかもしれないが、今思い出すのはこれくらいになる。最初の頃は、これらすべてが間が抜けて見えたものである。ところが今では英語を見ると少々窮屈に見えてくるから不思議なものである。 2009年 03月 13日
![]() 早朝のバルコンは久しぶりだ。最近は7時過ぎると明るくなってくる。中庭の芝生では二羽の鳩がプティデジュネ中。庭のランプは7時半に消えるようだ。毎週金曜の朝を迎えると、今日で今週も終わりかと思いわくわくし、夕方には今週もよくやったなという感情が湧いてくる (こちらはたまに)。これは日本ではなかったことである。毎週の時間を味わっているかのようだ。それにしてもその感覚が何と早く訪れることか。 午前中は語学学校。前回は郊外の若者の言葉がテーマだったが、その時の宿題がテーマ la nature に関連して皆さんが選んだ15の言葉を使ってスラム(le slam)を作るというもの。よくわからないが、スラムとはラップ+詩とあるので、昨日の夜カフェで2時間ほど遠くを見ながら詩の構想を練ってみた。選ばれた言葉は以下の15。 l'être vivant les animaux la planète les forêts respirer les déchets les ressources naturelles l'effet de serre le réchauffement climatique la pollution le futur protéger l'harmonie respecter l'ambiance 言葉を組み合わせながらそこから浮かび上がるイメージを捉え、そこにメッセージを込めるという作業は結構楽しめた。そして出来上がったのが、以下の詩になる。それが banal なものにしかならないのは致し方ないが、、。 -------------------------------------------- Puisque nous sommes seuls Puisque nous sommes seuls Puisque nous sommes seuls Tu te souviens de l’émotion étrange quand tu a vu pour la première fois la Terre flottant dans l’immense obscurité ? Oui, c’est notre planète bleue et merveilleuse Et nous sommes seuls dans l’univers infini Seuls avec l’être vivant Comme le sentait Pascal il y a quatre siècles C’est une émotion effrayante Tu en es conscient dans la vie quotidienne ? Oui, je sais. Nous ne pensons qu'à ici et maintenant Mais où veux-tu vivre dans l’univers ? Dans une planète sèche sans les forêts, les animaux et la mer ? Si oui, continue à détruire les ressources naturelles, à produire des déchets, Et ne fais rien pour stopper l’effet de serre, le réchauffement climatique, et la pollution Si non, respecte la nature, protège l’ambiance où nous pouvons respirer pleinement Pour tous les êtres vivants Abandonne la concurrence avec l’environnement qui nous entoure Mais maintiens l’harmonie avec lui Qu’est-que ça veut dire ? C'est penser à toi-même par apport à la nature et pour notre futur Puisque nous sommes seuls Puisque nous sommes seuls -------------------------------------------- この詩をクラスで朗読した後の先生の反応を聞き、スラムがどういうものか理解できたような気がした。それは単なる詩ではなく、その中に verlan や argot、さらには troncation (言葉を短く切ったもの) など、日常口に上る言葉 (ある意味では、言葉に活力を与えるようなもの) が組み込まれ、今を感じるようなものでなければならないようだ。その後の課題をやりながら、私の中にはこれらの言葉に対する高い壁があることがわかった。さっぱり入ってこないのである。例えば、こんな表現がある。 l'argot le mec ---------------------------------------- l'homme la nana / greluche ------------------------- la femme le flic ------------------------------------------ le policier le fric ----------------------------------------- l'argent le pif ------------------------------------------ le nez le fute ---------------------------------------- le pantalon le boucan ------------------- le bruit (il y a du boucan) le bol / pot (la veine) ---------------- la chance (tu as du bol) branché -------------------------------------- à la mode speed ----------------------------------------- nerveux le toubib -------------------------------------- le médecin kiffer ------------------------------------------- aimer (je te kiffe) se casser ------------------------------------- partir (je me casse) se grouiller ---------------- se dépêcher (grouille-toi) piquer ----------------------------------------- voler capter / piger ------------- comprendre (je ne capte /pige pas) le verlan une meuf / nana / greluche --------------- une femme un keum -------------------------------------- un mec un reuf ---------------------------------------- un frère une reusse ----------------------------------- une soeur une reum ------------------------------------- une mère un reup --------------------------------------- un peur un beur / reubeu --------------------------- un arabe zarbi ------------------------------------------- bizarre ouf --------------------------------------------- fou une teuf -------------------------------------- une fête un taf / boulot ------------------------------- un travail laisser béton ------------------------------- laisser tomber " C'est blesipo " ----------------------------- " C'est possible " Superlatif un super pote ------------------------------- un bon copain une méga teuf ------------------------------ une grande fête c'est trop bien ------------------------------ ça me plaît beaucoup c'est hypertop ------------------------------ c'est vraiment très bien cool = top = le top vs. nul ça craint ----------------------- ça se passe mal, ne convient pas c'est la galère ------------------ une situation très difficile une fête d'enfer --------------------------- très agréable / géniale Troncation un ordi (nateur) un écolo (giste) un mélo (drame) une cata (strophe) un hélico (pteur) une perf (ormance) ---------------------- une réussite un hosto ----------------------------------- un hôpital à plus ! ------------------------------------- à plus tard ! le ptit dèj comme d'hab ct'aprèm sans déc -------------------------- sans déconner / blaguer c'est dég ------------------------------------ c'est dégoutant un dico -------------------------------------- un dictionnaire un apéro ------------------------------------ un apéritif le dirlo --------------------------------------- le directeur le chômedu --------------------------------- le chômage de l'intox (ication) ------------------------- nul / pas intéressant よく見直すと愛すべき言葉たちなのかも知れない。 午後は久しぶりにセミナーへ。演者はアメリカの第一線で仕事をされている、私でもお名前は知っているイタリア出身の方。進化論の現状と問題点、その将来が非常にわかりやすく解説されていた。セミナー後のディスカッションも大いに参考になった。いつも受け身が多いクールだが、今日は朝から体が内から燃えていた。セミナーに向かう途中で見つけた小さなリブレリーでは、新たにしっくりくる本に出会った。最近余り感じたことのない解放感に満たされた金曜の夜となった。
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