ちょっとした一言に反応、思わぬ13日の金曜日に |
今朝も1冊目のメモを読んでいた。同じことを繰り返しているところもあるが、以前に書いたことを忘れているのと同時に思い入れの強さがわかり、それはそれで参考になる。その中に言葉の定義に関するものがあり、はっとさせられた。メモに残っていたのは、観察する observer という動詞。この前のブログのドゥヴィーズ devise "J'observe donc je suis" にも入っている。このメモにはこうあった。
observer = placer devant
どこで出会ったのかは書かれていない。最早全く覚えていないが、その時もはっとしたのだろう。この言葉により、それまで何気なく観察すると言っていたものが非常に具体的な行いとして目の前に顔を出す。何かを自分の前に持って来なければならないのである。そういう行いを意識的にしなければならないという促しをもって迫ってくる。フランス語を始めてから、このようにこれまで何気なく使っていた言葉の意味がよくわかるようになるという経験を何度もしている。言葉というものが自らの体や精神の動きに直接働きかける力を持っていることに気付くという経験になる。この辺りがフランス語に引き込まれていった原因の一つかも知れない。
午後からは半年に一度の検診に出かける。こちらではその前に血液検査をラボでしてもらい、その結果を持って出かける。結果はラボから担当の先生のところに転送されているようではあるが。今回は日本で増えた体重が減らないのとパリに戻ってからの不規則な生活、運動不足などでどうなるのか興味を持っていた。コレステロールは少し上がっていて日本では指導が出るのではないかと思うが、こちらの先生は問題にしている様子はなかった。それから病院では体重が元に戻っていた。帰ってわかったことだが、手元の体重計のゼロ点がズレていた。この手のことには最近は全く驚かなくなっている。
これまでにも触れているが、この先生との会話ではいつも視界が開ける経験をしている。今日は先生が何気なく発した言葉ではないかとは思うが、それに強く反応していた。自分が無意識のうちにある枠を設定し、その中に収まろうとしていることに気付かせてくれたのだ。気分が一気に解放され、予定を変更して街を散策することにした。途中に見かけたモロッコの観光案内に入ってみた。係の方の対応が非常に accueillante だったので気分よくいろいろな資料を眺めることができた。その後は近くのリブレリーの歴史と哲学コーナーを眺めてからタバに寄る。カフェでその1本を消費しながらの瞑想。出る前には予想もできなかった13日の金曜日になった。