l'été 2009-22 梅原猛 「科学者と考える」 |
古本屋でこの本を見つけ、600ページを超えるので少し考えたが、結局手に入れた。日本にいる間は日本語に触れようとしているようだ。
梅原猛全対話 「科学者と考える」 (集英社、1984年)
早速、この週末の東京・仙台車内で読み始める。ここで語られていることは、これまでブログで触れていることや最近科学者に語りかけたこととあまりにも多くの点で重なっていることに驚く。四半世紀経っても科学・哲学・宗教などを取り巻く問題は解決されないばかりか、さらに拡大しているようにも見える。まさに人類の永遠の課題なのだろう。
そろそろ問題の指摘だけではなく、どこに向かうべきなのか、そのためにはどのような方法があるのかを考える時期に入っているのかも知れない。あるいは、問題を提示するという作業の過程で、自ずとその道筋が見えてくるのだろうか。どのように提示するのか、それは結局のところものの見方、哲学にかかってくる。
以下に、抜粋をいくつか。
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先に言ったように、ぼくは、西田(幾太郎)さんにものすごく影響を受けています。西田さんはぼくの人生を決定したんですけれども、西田さんに一番不満だったことは ―― 戦争から帰ってきた後不満がだんだんつのってきたのだけれども ―― 事実との対決がない。すべての世界を、彼がつくった絶対矛盾の自己同一という概念で説明する。蚕が自分のまゆを自分で分泌しその中にとじこもるように、西田さんも自分でつくりだした概念の中にとじこもって、そこからでてこない。それを西田さんは、真実の世界というけれど、所詮自らつくったまゆの中ではないか。哲学者はもう一度外界に出て事実にぶち当たらなければならないのではないか、事実にぶち当たり、外界世界の中で、体系的思弁を再構成すべきではないか。そう思ったんです。
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明治百年の日本の人文科学の歴史は、その学問をすべて西洋から学んでくることにあったわけです。新しい学問が西洋に起こるとそれを早速学んでくる。そのため新カント派が出ると新カント派だ。現象学が出ると現象学だ。大学は、そういうふうに西洋の最新式の学問を移入する場所なのです。だから、自分の頭で考えることをしないでみんなヨーロッパから学んできた。新カント派と現象学の講義をして一生食える。そして最終的に文化勲章なんかもらう。だから人文科学は自然科学よりだいぶ遅れてしまっている。
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金持ちになっても文化を作らなかったらなんにもならんですね。後世から見て、日本というのはある時期金持だったけれども、なんにも残さなんだということになったら、やっぱりまずいことです。学問の考え方を変えにゃいかんと思うけれども。学者は、真理以外のものを何も信じないという態度が必要です。権威にも名誉にもかかわらず、どんなに孤独でもひとり真理を追究するという態度がなくてはならない。日本に独創的な学問が少ないのは日本人が孤独になれないからではないかと思うのです。
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とくに人間の一生を考えるにあたって、もっとも示唆的だと思うのは 『ツァラトゥストラはかく語りき』 における精神の三様の変貌という考え方だと思っています。
ラクダの形で精神は最初現れるわけです。ラクダの特質は忍耐です。次にライオンに変貌するわけですが、ライオンの精神の特徴は勇気です。そして三番目が小児ですけど、これは無邪気な創造を示しています。
小児の段階は、いってみれば、時の止まった段階なんです。一瞬一瞬が喜びに満ち、一瞬一瞬が充実している、ここを支配しているのは小児の無邪気さなんです。だから、物質的・精神的になんらかの報酬を求めるという気持ちはそこには全くないわけです。これこそが最高の状態なんだと思うんですよ、人生において。
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熱狂的に書いたもののほうが私のものとしてはいいですね。どちらかというと、長い間かかってこつこつやったものは、私の作品としてはあまり良くないですね。二年も三年もずっと発酵させていてですね、それで、書くときはぐっと一気に書く。それでほんとうに時間がない時に書いたもののほうが、迫力があるんですよ。
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日本人は明治の初めにヨーロッパを受け入れた。西洋絶対主義でなかったから、和魂洋才というか、精神は東洋から、科学は西洋からという形でやってきたが、明治時代の日本人は精神は東洋だといっても東洋の思想をもっとも簡単にして天皇主義一本にしてしまった。そして修身教育で精神の方を押さえて、あとは西洋主義、物質主義でやっていって、あの昭和二十年(1945)を迎えた。そして、いままで柱になっていた精神主義というのは破産してしまった。残ったのは科学文明だけです。同時に戦後のぼくたちは、すっからかんになって食うに困った。
そういうことから日本人は安ものの精神主義をたよりにしておったらいかんということで、すべての人が精神不信に陥った。物質は正直だ、物質でいこうということになった。戦後の日本人はヨーロッパ人よりももっと徹底した物質主義者です。そしてがんばったおかげで驚異的な経済復興をなしとげた。ヨーロッパ人から見ればたいへんな奇跡だ。奇跡の背後にはがんばりがあったと同時に、精神に対するシニシズム(冷笑)があった。精神を忘れたから、これだけ復興したと、ぼくはそう思っている。
湯川秀樹 「私は好奇心はわりあい旺盛だと思っております。その好奇心の範囲がだんだん広くなってくるので困っておるんですがね(笑)。若いときには、いまより好奇心が旺盛でなかったとはいえませんが、なにかあるところへ集中されていて、あるい時期はやはり物理学に関して一生懸命勉強し、研究し、新しいものにたいする強い関心は、おのずから自分の専門に集中されておったわけですね。それが四十歳代から五十歳代ぐらいになると、あっちこっちの方向へだんだん発散しはじめた。むろん物理学に関係のあるような自然科学の他の分野、あるいは自然哲学的な傾向の強い哲学、そういうものにはもともと関心があったわけですが、だんだん文学、歴史というようなところへも広がってきたんです。しかし、それは同時に、物理学を専門とするようになる以前、さかのぼれば小学校、中学校、高校のころに、何となく仕入れたものがもう一ぺん生きて来て、新しく入ってくるものとお互いに干渉し、刺激しあうようなことがあると思いますね。教養というのは、そういうものじゃないかと思いますね」
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湯川 「しかし、何にでも興味をもつというのは、ただゴシップみたいなものをあさるというのと全く違うことでして、私はやはりある意味では知的にひじょうに貪欲かも知れないが、しかし、同時にいろんな知識を自分でまとめたいと思っているわけですよ」
梅原 「それはプラトンの言うエロスだと思うんです。エロスはやはり常識を破っている。常識を破るようなもの、自分の中における自己同一的な世界を破るようなものがエロスなんです」
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湯川 「西洋、特に西洋近代でひじょうにはっきりしているのは業績主義ですね。これはたいへん公平でよろしいけれども、それ一点張りですと、ひじょうにしんどいですわ。特にヨーロッパよりアメリカは業績主義がきつい。それがまた日本へ入ってきていますからね。むろん業績を無視するのはいかんですが低い意味の業績主義になると月給主義になってしまう。つまり学者の値打ちは、幾つ論文を書いたかできまってしまう。極端にいえば、四、五年のあいだにどれだけ書いたかで月給はどれだけということが決まったりする。だから、三年鳴かず飛ばずということはできへんわけや。これでは大物は出られへん。これはまた困ることや」
梅原 「東洋の思想ですと、六十なら六十まで仕事をして、それからあとの人生は余生を楽しむ。ヨーロッパだと、あと悠々と人生を楽しんでいるところは退歩みたいに考える。しかし私は、大きな仕事をなしとげて悠々と楽しんでいるところに人生のエッセンスがあるという東洋の考え方、これは大変健全な考えだと思う」
近代科学というものは同時に技術だ。近代科学技術文明を基礎づけたベーコンは 「知は力なり」 といった。実践的にならないような知恵というものは、知恵としてはだめだという。それは僕は、非常に疑問なんだ。すぐに実践的になるような知恵というのは、逆に言うと、大した知恵じゃないんじゃないか。
逆にいまは、朱子学をむしろ必要としている。つまりベーコン的な知恵に対して、アリストテレス的な知恵で対処する。
湯川さんは、日本人は全部働き者だから、なまけ者はええことやと。それは中国の知者もそう考えているし、ギリシャの哲学者もそう考えてる。日本人とユダヤ人だけが、働くことはいいことだという。やはり、実践的な知だけに知を限定せずに、もっと無用な知を大切にすべきであると湯川先生はいわれた。人類の長い知の歴史を、もう一回考え直してみる必要がある。それには先ほど先生が自然の認識と人間の認識とおっしゃったでしょう。その意味で自然の認識はいまも進んでいるけれども、人間の認識が遅れている。哲学というのは、とくに遅れている。
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やっぱり、ときどきそういう活を入れるような人間がでてこないといかんですね。思想家の意味というのは、結局、それなんです。放っておけば人類というのはだんだんいやしくなり、だんだん怠けものになっていく。それをもう一回原点に返させるようなね。思想家っていうのは、生存に必要な原点に返すようなそういう役割を持っているんじゃないかと思うんです。
日本の明治時代の歴史を見ましても、不思議な光源体みたいな人がときどきでてくるんですね。たとえていうと岡倉天心、それから武者小路実篤、そういうのはどれだけ偉いかわからんのですは。
まあ、岡倉天心というのは、多少いかがわしいと思ってますし、武者小路実篤も書いたものはたいしたことない。にもかかわらず、ああいうのがでると精神が若返るんですね。思想というのは結局そういうものだと思うんです。だからぼくらの役割も、日本人全体が若返ってくるような、そういう人間になりたいと思ってますけどね。