コルネリュウス・カストリアディスという哲学者 Cornelius Castoriadis, philosophe français |
昨日、初めて目にしたこの方について少し調べてみた。専門家を除いて、日本ではほとんど知られていないのではないだろうか。激しい人生を歩みながら、興味深い考えを紡ぎだしている。共振するところがいくつか見つかった。
コンスタンティノープルに生まれ、一家はアテネに移る。若い時から政治や哲学に興味を持ち、共産主義に共鳴し、活動する。1946年(24歳)にアテネ大学で学位を取った後、フランスに渡り終世この地で過ごす。1948年から1970年まで OECD に経済学者として勤務。1970年(48歳)にフランス国籍を取り、1980年(58歳)には EHESS の研究部長になっている。1997年、心臓手術の合併症で亡くなった。享年70。
彼は古代ギリシャに大切なものを見ていた。ギリシャが自律性や民主主義という今の西洋にある大切なものを生み出し、現代を見る上に重要な示唆を与えると考えていた。彼は現代に2つの対立を見ていた。一つは自律性や創造性がある開かれた社会、それに対して精神を萎えさせる資本主義的社会の対立である。前者の社会は、個人が社会的、政治的な覚醒を経て初めて可能になり、個人としての計画や集団としての自律性が蘇り、自由への意思が表に出てくる。それに対して後者の社会では、意味が失われ、内容のないことが繰り返され、社会の規範への同調や無感動が広まり、無制限な消費の拡大が強調されることになる。
それから自律性を基準にして、autonomous society と heteronomous society という概念を提唱している。すべての社会は仮想の目には見えないもの (例えば、法律、伝統、信仰、行動、組織など) を作るが、autonomous な社会の構成員はそのことを意識し、自ら学んでいる。対して heteronomous な社会では仮想のものを社会の外の権威 (例えば、神、先祖、歴史的必然性など) に求めるという。この話を聞いて、2か月前に触れた日本と autonomie の欠如のことを思い出していた。
それから全体主義について、興味深いことを言っている。歴史上では残虐なことや恐怖政治が繰り返されてきた。しかし、西洋文明はそこで起こったことに対して批判精神を以って自己を検討し、異議申し立てをする能力を持っており、その精神は西洋だけが持っていると強調している。例えば、トルコは中近東の国々を5世紀にも渡って支配し続けたが、トルコがイスラム教なのでアラブの国は何も語らない。16世紀から続いている黒人の扱いについてもアフリカの黒人が関与しているので異議申し立てが成されていない。また中国人や日本人は自らの過ちを否定しようとさえすると指摘している。かなり強い信念の持ち主のようだが、確かに西洋と比較した場合、自由や人権の侵害、正義という問題に対するわれわれの感受性は鈍いように感じられる。また、ドグマを廃した理性的な討論によって問題解決に当たるという姿勢も弱いように見える。
思想がその人生の行動を通して出来上がってきたと言える人物だろう。体が生きている思想家になる。ヨーロッパには彼のようなタイプがかなりいそうな印象があるが、日本で体を感じる思想家は余り目につかないようだ。
今、ラジオのジャズ・チャネルからは、なぜか鮫島有美子さんの朗々とした日本語の "My Way" が流れていた。これとは対照的だったクラクフでのニーナ・シモンとの出会いを思い出していた。