瞑想の後、久しぶりのクールへ |
今週の傾向として、午前中はバルコンに出て、新らたに発見した人について読みながら瞑想する(漢字変換すると、まず「迷走」と出る)という日課であった。朝のうちは集中力も維持できるようで、今週は次に繋がるものが引き出せたようである。
午後は徐に外に出るという日課だったが、今日は久しぶりに Paris 7 のクールへ。途中、このクールの評価をどうするかという話が出ていた。所謂試験はやらず、エクスポゼなどを含めたこれまでの総合判定ということになりそうである。これは冗談だとは思うが、皆さんの成績をくじ引きで決めるなどという話も出ていた。日本では冗談でも不謹慎とされるかもしれないが、そこは大人同士のお話ということになるのだろうか。また、ディスカッションの中でこれまでも何度か触れているホメオパシーの話が出ていた。このお話は私も好きな話題で興味が尽きないのだが、日本では専門家の間で話題になったという話は聞いたことがなかった。科学的でないとの理由で、はなから問題にされていないのかもしれない。以前の記事にもあるが、フランスでは状況が少し違うようだ。
どのような治療が行われようになるのかは、受け入れる側の文化と哲学が関わってくると思われる。その際に大切になるのは、一度心を無にして見直し振り返るという作業を入れることだろう。そして、これはどのようなことに対する時にも有効な方法になるだろう。マスメディアから見える日本は、条件反射や思考停止が蔓延っているような印象が強い。ホワイトヘッド (Alfred North Whitehead; February 15, 1861 – December 30, 1947) という哲学者は、文化の一つの要素として思考活動をあげている ("Culture is activity of thought")。つまり、文化にしても哲学にしても思索し瞑想できるだけの時間がなければ生まれてこないことになる。そのためには落ち着いた空気が求められるのだろう。