雑文などと |
先日クラクフで発見したナタリア・ククルスカ (Natalia Kukulska) の1曲を繰り返し聞きながら、依頼されていた一文を昨日仕上げることができた安堵感の中にいる。
今日の朝の光も素晴らしい。
ところで、このことについて先日触れた時に雑文という言葉を使ったような気がする。
あるいは、自分の頭の中にあった言葉だったかもしれない。
しかし、雑文とは一体どういうことだろう。
そこには本業と直接関係のないことを軽い気持ちで綴るという雰囲気が漂っている。
本業という砦から出て書いているという甘い気持ちもあるかもしれない。
これも触れたばかりだが、本業を特定できない状態にある者にとって、
雑文などとやや高みから見て語ることなどできないのではないか。
そんな想いが昨夜訪れた。
どんな文章であれ、その時の自分の全体を注ぎ込み書こうとしてでき上がったものに
雑文などとは言えないだろう、と。
そして、強い光の中、でき上がったばかりのその文章を読み返し、
私の疑問に間違いはなかったことを確認していた。