二日目は本屋を巡り、ゆっくり読む |
外見はよく入ってくるが、中味がさっぱり入ってこないので、外国語の本を扱っているところはないか聞いたところ、同じモールに英語の本屋さんがあるとのことで期待せずに行ってみた。こちらは小さく、店名も American Bookstore (Księgarnia Amerykańska) と余りにも工夫がない。ところがここで意外に長い時間を過ごすことになった。ポーランド、クラクフ関連の棚に向かうと、この国出身になる有名なアイザック・バシェヴィス・シンガー (Isaac Bashevis Singer、1902年11月21日あるいは1904年7月14日 - 1991年7月24日)、チェスワフ・ミウォシュ (Czesław Miłosz、1911年6月30日 - 2004年8月14日)が目に入ってくる。お二人とも私のアメリカ時代にノーベル賞をもらっており、シンガーさんの本はその後すぐに何冊か読んだ記憶がある。その他にもこれまで知らなかった方の本が並んでいる。それを一つひとつ眺めているうちに、アダム・ザガイェフスキ (Adam Zagajewski、1945年6月21日-) という方のエッセイと詩集に注意が集中してきた。それを中央広場に面したカフェで読み進んだ。
私がその店を出る時にお相手をしてくれた若者が丁度バイトが終わったようで、広場を歩いている時に後ろから声をかけてきた。挨拶だけで終るのかと思ったが、それから30分以上話し込むことになった。どこか遠くの国から来た旅人と言葉を交わしたかったのかも知れない。僕はフォトジェニックではないので、とのことだったが、一応収まってもらった。
彼はクラクフ生まれで、現在は大学で経済を勉強しているという。日本も問題はあるだろうが、こちらも失業率15%で経済がなかなか大変。学生のバイトにしてもイギリスやドイツに比べると安い。卒業しても研究職はなかなかないので、皆さんアメリカ、イギリス、ドイツなどに行くようだ。彼自身も親戚がいるシカゴに行きたいような話であった。それから話題は歴史に移っていった。13世紀にタタール人がここを侵略した時、ラッパで合図をした兵士を殺してしまったのだ、と言って後ろに見えるマリアツキ教会を指した。それ以来、教会からあのファンファーレが流れるとのことなので、昨日何気なく聞いていた調べには長い歴史があることを知る。さらにクラクフにはナポレオンも立っているし、第二次大戦ではドイツ軍がかなりの部分を破壊してしまった。このあたりの建物には新しいものが多いだろうと言って広場の周りを指し示す。
それから観光のことも聞いてみた。ヴァヴェル城を見ようと思ったら一日必要になる。美術館はここの生まれだがあまり行っていないとのことで、ダ・ヴィンチの 「白貂を抱く貴婦人」 (La Dame à l'hermine) はまだ見ていないようだ。ただ、マンガ美術館 (Manggha) には行ったことがあり、あなたの国の文化は素晴らしいと語ってくれた。この美術館は漫画を扱うものではなく、日本の芸術・工芸センターとでも言うべき内容とのこと。滞在中には訪れてみたいところになった。ついでに他の本屋さんを紹介してもらったところ、広場に面して目と鼻の先にあるとのことで入ってみることにした。
ここも言葉が全くわからないためか非常に新鮮だった。哲学のセクションまで上がってみると、こちらに来る前に仕入れ持参している本のオリジナルがあるのを発見。ポーランドの医学哲学者の 「カタルシス」 という本だが、各章のはじめに絵画が一枚貼り付けられて (上の一点だけで)、これがなかなかよい。なぜか仏訳本では省略されている。しかも、紙の質、字体、色合いが全く違うのだ。いつ読めるようになるのかわからないものの思わず手に入れていた。これは嬉しい出会いであった。
初日に気付いたことだが、クラクフの旧市街には教会が多い。
今日はこの教会の前での食事になった。
ウィキによると、10世紀に木造の教会ができ、11世紀から12世紀にかけて石造りになったようだ。教会がある中央広場 (La Grande-Place du marché) ができたのは13世紀になるので、その1世紀ほど前からこの場に建っていたことになる。