人が在るということ |
あと数週間でパリをご夫妻で訪問することになっていた方 (私とほぼ同年代になる) がいる。私も訪問を楽しみにしていたが、ご本人が心筋梗塞で倒れたとのメールを奥様からいただいた。一日経って少し落ち着いてきたので書いているが、そのメールを見た時には目を疑い、驚いた。こういう出来事に触れる時にいつも感じるのは、時が確実に流れているということ、今日が昨日と同じではない、今まさに時の流れに乗っているのだ、という感覚である。今回は私もこういう年代に入って来たのかという感慨が加わっていた。
さらに、人間の存在の重みがひしひしと迫ってきた。ある人がいなくなると会えなくなる。話もできなくなる。その人の中に詰まっているものを味わうこともできなくなる。数年前から、この極々当たり前のことをはっきりと意識できるようになっている。それほどまでにこの生命は危ういものだということが理解できるようになっている。その頃からだろうか、人と会う時にはどこかにこれが最後の機会だと思って接しているところがある。同時に、会える時に会っておこうという気持ちが生まれている。日本から離れて、この感覚がさらに研ぎ澄まされてきているようだ。
今は一日も早い回復を願うばかりである。