メモワールのテーマを考え直す、そして観察が創造をもたらす |
メモワールの仮のテーマを先日大学に提出した。このところ、このテーマをどのように考えて行けばよいのか考えあぐねていた。いつものように呻吟していた。それで手に入れる本が再び増え出していた。そして昨日のこと、その最初のところから考え始めたところ、わかったつもりでいたその最初の部分さえ実は何も分かっていないことに気付く。自分がわかっていないことはもちろんだが、統一された見方もないのではないのかということに。
この第一歩のところは飛ばして、早く求める解を探る旅に出たいと思っていたようだ。しかし、それは諦めて最初からゆっくり歩みを始めなければならないだろう。それがわかると読まなければならない本が霧の中から顔を出してくる。重要なこと、それはどの角度からものを見るのかではないのか。視点の変化によって見えてくるものが全く変わってくることは、写真を毎日選びながら感じていることでもある。しかも、今見えていると思っているものが真実であるという保証はどこにもない。普段はその見る角度については考えずに何気なく時を過ごしているだけなのだ。あるいは、考えるということ、そのことをしていないのかもしれない。それを意識させるのは哲学的視点なのだろうか。
そんなことから、私が視点を意識しながら観察を始めるきっかけになったブログの歴史に思いが移っていた。そして今調べてみたところ、このブログの前身のハンモックを始めたのが2005年2月16日で、その時から丁度4年が経過していたことを知る。長いのか短いのかよくわからないが、この間に起こった変化は私の想像を大きく超えるものであった。それは私にとっては創造と言ってもよいものだろう。すべてがブログの力だとは言わないが、かなりの部分を占めているように思っている。
当初はまさに虚空に向けて自らの記録として書いていた。そのうちにコメントが寄せられるようになると、誘われるように思索が始まり、それら全体の活動が私の血(知)となり肉となっているように感じている。そう思えるうちは継続していくのだろう。