ロベール・ブラジヤックという言論人 Robert Brasillach |
先日のモーリス・オーダン事件の余韻で思い出したのだろう。昨年末、フランス語の語学学校に一週間だけ通った。ある日のクールの最初の雑談でのこと。どのような話題から始まったのかは思い出せないが、第二次大戦の時にナチの傀儡だったヴィシー政権に協力した勢力や人々がいたという話が私と同年代と思われる先生から出ていた。抵抗をしないのは自らの身のことを考える普通の人の取る行為としては(問題がないわけではないが)仕方なかったかもしれない、しかし積極的に協力するということは許されないことだったと強い口調で語った。その先生によれば、協力した側にはカトリックの教会も含まれていたという。さらに、名前は忘れたとしながらも、強烈な反ユダヤ主義者でヴィシー政権に協力した作家のことを話した。その作家がパリ解放後に捕まり死刑が言い渡されると、文学者たちがドゴール将軍に恩赦を求める請願を出した。しかし、彼の書いたものの中に、まずユダヤの子供から処刑していくべきという記述を見つけたドゴールは彼を決して許すことはなかった、というようなお話であった。
この話が気になり調べてみたところ、当てはまりそうな人物が現れた。先生の話した人と同じかどうかはわからないが、酷似している。その人の名は、ロベール・ブラジヤック。
ウィキによると、彼は日刊紙、週刊誌などの言論媒体にユダヤ人に対するあからさまな嫌悪をまき散らし、ナチの体制を賛美していた。1945年1月19日(偶然にも64年前のこの時期)にわずか20分の裁判の結果死刑が言い渡されると、ポール・ヴァレリー、ポール・クローデル、フランソワ・モーリヤック、アルベール・カミュ、ジャン・コクトー、コレット、アルテュール・オネゲル、モーリス・ド・ブラマンクなどの綺羅星の如き人たちがドゴール大統領に恩赦を訴える。しかし、ドゴールはそれを認めず、2月6日に銃殺刑に処せられる。カミュが署名した理由は死刑制度そのものに反対だったためとされ、サルトルやボーボワールは署名していない。
ドゴールがなぜ恩赦を与えなかったのか。国立中央文書館にある 「ブラジヤック事件」 というファイルにはドゴールが尊敬していた政治家でレジスタンスであったジョルジュ・マンデル (Georges Mandel, 5 juin 1885 - 7 juillet 1944, assassiné) の暗殺に彼が深く関わっていたことが罪状に挙げられていたという。 またドゴールは、言論人は自らの活動の結果責任を負わなければならないという固い信念を持っていた。後年、この事件について問われたドゴールは、少しの後悔もないと答えたという。