日常の中の非日常に身を置くと |
昨日は睡眠不足で疲れていたのか早めに床に就いた。そのためか今朝は3時に目が覚めていた。最近の傾向として、一度目が覚めると再び眠ろうとは思わなくなっている。以前のように睡眠時間を確保するために眠り続けましょうとはならない。そういう時間に起きると普段気付かないことに気付いたり、思いもしないことが浮かび上がってくるからだ。ある意味では何ということはない日常に顔を出す非日常に身を置くことになるからだろうか。私が今抱えているような問題について考える生活に入ってみましょうか、などという想いが大げさに言うと決意という形で現れたのが、2年前の時差ボケの早朝のことであった。
今回も再び寝ようという気にはならず、ノートやパソコンの中のデータを眺めている時にある考えが浮かんでいた。それはひとつの方向を示すもので、その意味では決意と言えるものかもしれない。何気ない繰り返しの中からは決意という次元を変えるような心の動きはなかなか現れない。どんな些細な日常からの逸脱であれ、そこに入った時にそれが顔を出すようだ。
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dimanche 29 novembre 2015
この記事には、こちらに来てからのライフスタイルの芽が書かれてある。考えることが仕事のようになり、定時にどこかに行く必要がなくなると、これまでの枠を考えなくても良くなる。そこにある種の自由がある。目覚めた時がその日の始まりで、眠くなった時がその日の終わりである。ただ、実際には眠さも無視して起きていることは稀ではなかったのだが、、。
それから、非日常の時間に入った時に何かが現れるということも何度か経験している。それは何気ない日常に入った亀裂のようなものであるため、そこで改めてものを見ようとするのだろう。それが新しい道に繋がることがある。それはまさに人生の創造と言っても良いことだろう。