コロックで貴重なお話を聞く |
今日は朝から1日がかりのシンポジウムを聞くため ENS へ向かう。久しぶりの建物はなぜか懐かしい感情を呼び起こす飾り付けがされていた。この界隈はマスターの時によく歩いていたところなので親しみがある。マスターを終えてからもうマスターの時間と同じ2年が流れているが、心理的にはすぐ横にある感じがする。しかし、当時の緊張感を再現するのは難しくなっている。実に不思議な時間感覚だ。今日の目的はこの方のお話を聞くことと、お話をすることであった。
実は、昨年10月、ピッツバーグ大学のケン・シャフナーさんのセミナーの後にわたしの疑問をぶつけたところ、すぐにアメリカの数ヶ所からメールが届いたが、クレイヴァーさんはその中のお一人になる。それから3月にこちらに来るので話をしましょうというメールをいただいていたので、それが実現したことになる。
これは私の印象だが、アメリカの哲学でよく見られるスタイルとして、科学の具体的なデータの中にどんどん入って行き、そこで行われていることを哲学的テーマに沿って分析するというものがある。しかし、今日のクレイヴァーさんのお話はこれまで言われていた理解し予言するためのモデル作成からさらに一歩進めたところに行っており、驚いた。科学に寄り添い過ぎではないかという印象を持ったので率直に話してみた。すると、このような考え方はアメリカでもまだ珍しいとの返事が返ってきた。ユニークな方向性なのかもしれない。上から下りてくるメタフィジックはお好みではないようで、データから入る下から上に向けての解析が大切だと考えている。科学の現場と乖離した哲学は意味がないと考えているようでもある。今日のお話はこれまで話していない内容とのことで、これだけでも顔を出して正解だった。
しかもいくつかの貴重なお話を伺うことができた。例えば、わたしの哲学全般についての問題意識を話すと、そういう人にはお勧めという一冊を紹介していただいた。また研究についても助言をいただき、充実した一日となった。これからはSkypeでやり取りしましょうとのことだったが、取敢えずメールでお願いしておいた。これまでにも感じているが、人と遭うということは実験をするのと同じようなところがあり、時に思わぬ化学反応を起こす。今日の実験結果はこれから確かめることになるだろう。