"Spécial Solidarité Japon" にて |
今日は午前中に用事を済ました後、届いたばかりの本とともにカフェで時間を過ごす。もうひと月ほど前になるが、仕事の中で推論を続けていくと、ひとまずあるところに辿り着いた。その後調べているうちに、そのこととどこかで通じるような言葉を40年ほど前に残している人がいることがわかった。その意味するところを知りたくなり注文した本になる。早速読み始めたが、面白いだけではなく、求めているところまで近い印象がある。イントロにこんな言葉あった。
「探検家は探検が終わるまで何を探しているのかわからない。...科学者や芸術家の場合も心の深いところが本人の課題に関係する経験や思索へと間違いなく導いている。その導きは、科学者が自らの目的を意識するずっと前から行われているようである。しかし、それがどのようにして起こるのかはわからない」
夕方、パリ商工会議所に向かう。ジャック・アタリさんを招いて日仏で今回の災害に遭われた方に向けての連帯を示す会である。お話の中には、わたしがこちらに来る時のキーワードになった "réfléchir"、 "réflexions" が頻繁に顔を出していた。この言葉を 「よく考える」、「熟考する」 と訳しただけではピンとこなかった。しかし、何かを検討し、深める際に、考えを自らのところに向かわせる運動が伴っていなければならないこと(言葉本来の意味の 「反射」 が必須になること)がわかった時、この言葉が身近になると同時に、その運動を意識的にしていなかったことに気付くことになった。
アタリさんは冒頭に、それぞれが今回のことを充分に 「レフレシール」 しなければならないと語った。この大災害、悲劇の拡がりやその意味するところについて。会の性格もあるので、先ず経済的な要素について触れていた。日本は経済的に見て世界で重要な国であり、われわれの友人である。われわれのためにも日本の復興は大切である。さらに、エネルギーの今後、自然と人工との関係、技術とその利用などについて考えなければならない。アタリさんの核エネルギーに対するスタンスは、安全なものでこれからも使用を止めてはならないが、予防措置 (précaution) は厳格に採らなければならないというもの。彼の姿勢は核依存度の高いフランスという国の立場を反映するものなのだろう。日本の予防措置はどうだったのかという点はこれから検証の対象になるはずである。
それからフランスのできることとして、日本における活動を活発化し、できるだけの援助をすること。そして、フランスの日本に対する感謝の気持ちをはっきりした形で示すこと。日本の伝統や日本的な感受性はわれわれ(世界)にとって大切なものである。パンセ(penser)、レフレシール(réfléchir)、イマジネ(imaginer)を通して導き出したものを基に語り、行動しなければならない、と結んでいた。
(2011.1.10-11) ジャック・アタリさんによるジョルダーノ・ブルーノ (I)、(II)
会場のわたしの前の席には、コンサートのためにパリを訪れている佐渡裕さんとステラ・マリスの吉野建さんが。挨拶に立った佐渡さんは、明日シャンゼリゼ劇場であるフランス国立管弦楽団の演奏会では、プログラムの前にバッハのアリアを演奏し、黙とうをする予定であること。ベルリン・フィル、ウイーン・フィルも日本に向けてメッセージを送るため、演奏会を開いてくれること。また、ケルンやデュッセルドルフでもチャリティ・コンサートがあり、今週の土曜にはデュッセルドルフでベートーベンを指揮することになっていることなどを紹介していた。世界中からのメッセージが日本に届くように舞台から頑張りたいと語った時は感極まった様子であった。