深まりゆく秋のパリ |
時差が元に戻りつつある。
パリの秋も深まりつつある。
トロントのカフェでぼんやりしている時のことを思い出した。
その時、パリの街は極めて特殊なところにではないかという思いが湧いていた。
忙しく動いているかに見える英語の世界から隔離されて奥まったところ。
そこに隠れてしまえば外気に晒されずに済むようなところ。
そう言ってしまえば日本などは国の上にドームが覆い被さったようなところとも言えるだろうが、、。
偶には英語圏に出ることも必要なのかもしれない。
ところでトロントのリブレリーで本を眺めている時、アメリカとの微妙な違いに気が付いた。
先日読んだばかりのホーキングさんの "The Grand Design" の装丁が少し違う。
それから米英加のアマゾンで本を比較している時のこと。
メインタイトルは同じなのだが、サブタイトルが異なっているものがある。
空港ではアメリカやパリのリブレリーでは前面に出てこないだろうカナダ人の書いた本が目に付いた。その中に、「メートル法を使っているのでアメリカ人には不便であり、アメリカ式のスペリングを用いたのでカナダ人には不都合があるかもしれないが、」という表現を見つけた時、アメリカとカナダとの間にはやはり文化の違いがあるのだ、という当たり前のことが目の前に現れ、微かな感動が襲っていた。空港で手に入れたものの中には科学の性質についてトロント在住のジャーナリストが科学者や哲学者にインタビューしたものがある。いろいろなテーマに入って行くための入り口としては結構楽しめる。あのように展示されていなければ出会わなかったであろう本になる。どんなところにも入ってみるものだ。
Ideas on the Nature of Science (Editor: David Cayley)
こちらのドクター・コースで勉強されている方と偶然にお会いした。
文系で現在最終の追い込み中。
教授とは毎週のように打ち合わせているという。
何年目か伺ったところ、5年目。
よいものに仕上げるようにと教授から言われ、このようになったようだ。
先日の教授との話ではないが、4年は普通という話は満更オーバーではなさそうだ。
2年目はテーマに沿って資料を集めるようにと言われたことを話すと、こういう答えが返ってきた。
「3年目も同じようなことを言われましたよ」
いやはや、文系の世界はどうなっているのか。
理解するのがむずかしい。
ただ、気持ちは心なしか大きくなっているパリの週末。