ヘルムホルツによる創造に至る道 |
人に知られず
念はれず
胸の迷路を
夜半にさまよふもの
―ゲエテ、月に寄す―
研究分野として、僥倖とか、妙案に頼る必要のない方面は、私にとつて、常により愉快なものであつたといはざるを得ない。
ところで私は、可なりしばしば、妙案を待ち望まねばならないやうな面白くない立場に陥つたので、何時、何處で、それ等の妙案が私に浮かんで來たかといふことに關しては、若干の經驗を得て居り、それ等の經驗は、恐らく他の人々にも矢張り有益なものであるであらう。それらの妙案は、随分しばしば、秘かに心中に忍び込んではゐても、直ぐに最初から、その意義が認められないでゐることがある。後になつて時々、ただもう一度の偶然の事情のお蔭で、それ等の妙案が、何時、如何なる事情で浮かんで來たかが認識されるのである。もしさうでないと、それ等の妙案は存在はしてゐても、何處から來たか分からないのだ。ところが外の場合には、妙案は、努力もなくまるで靈感のやうに、突如として起つて來るのである。私の經驗した範圍では、そうした妙案は、疲勞した頭や書卓に就いてゐる時には、決して浮かんで來なかつた。私はいつも先づ最初に、自分の問題を、その凡ての紆餘曲折を頭の中で概觀して、それ等のものを、書くことなしに宙で通覧することが出來るように、あらゆる方面に亙つて色々と角度を變へてゐなければならなかつた。そこまで漕ぎつけるには、相當長い豫備的研究がないと、大抵出來ないのである。それから妙案が浮かんで來る前には、どうしても豫備的研究から起こる疲勞が過ぎ去った後、一時の間、身體が完全に元氣を囘復し落付いた快感を覺えるやうにならなければならなかつた。屢々、さうした妙案は、いま引用したゲエテの詩と同じやうに、實際朝眼が醒めた時起つて來た。ガウスも嘗て同じやうなことを書いてゐる。併し、ハイデルベルクでもうお話したやうに、さうした妙案は、陽の輝く元氣の日に、うつ蒼とした山に、のんびりとした氣持で登つてゐる時に、特によく浮かんで來た。ところがどんなに微量なアルコール飲料も、さうした妙案を追い拂つてしまふやうであつた。
そのやうな創造的な思想の充實した瞬間は、勿論非常に愉しいものであつたが、救ひの妙案が浮かんで來ないその反面は、あまり樂しいものではなかつた。さうした時には私は、數週間も數箇月も、そのやうな問題に喰ひ下つて夢中になることが出來たが、最後には次の動物と同じやうな氣持を覺えたのである。
周りには美しい綠の草原があるのに
ぐるぐると惡魔に引き廻される
枯野の中の動物
―ゲエテ、フアウスト―
そのやうに夢中に凝り固つた氣持から、結局私を救い出し、他の興味に向つて再び私を解放して呉れたものは、屡々猛烈な頭痛の發作に外ならなかつたのである。
ヘルムホルツ著( 三好助三郎譯) 「科學のすすめ」所収
思ひ出 (一八九一年ベルンに於いて、七十歳の誕生祝賀に當つて行はれた一場の演説)
(弘文堂、アテネ文庫、昭和24年)
アテネ文庫刊行のことば
昔、アテネは方一里にみたない小国であつた。しかもその中にプラトン、アリストテレスの哲学を生み、フィジアス、プラクシテレスの芸術を、またソフォクレス、エウリピデスの悲劇を生んで、人類文化永遠の礎石を置いた。明日の日本もまた、たとい小さく且つ貧しくとも、高き芸術と深き学問とをもつて世界に誇る国たらしめねばならぬ。「暮らしは低く思いは高く」のワーズワースの詩句のごとく、最低の生活の中にも最高の精神が宿されていなければならぬ。本文庫もまたかかる日本に相応しく、最も簡素なる小冊の中に最も豊かなる生命を充溢せしめんことを念願するものである。切り取られた花瓶にさされた一輪の花が樹上に群る花よりも美しいごとく、また彫刻におけるトルソーが、全身において見出されない肢節のみのもつ部分美を顕現するごとく。