アインシュタイン 「知識より想像力の方が重要である」、あるいは錬金術師のこと |
生命のない物質と生物を比べると明らかに違う。その違いを言葉にするのは難しいが、ほとんど識別できる。ただ、ミクロの世界、原子の世界に入るとその差は見えなくなる。生命は命なき分子が出会い、その輪を広げることによりでき上がったのだろうか。その中で進行する分子の動きには平衡状態に向かうものと混沌に向かうものがある。平衡状態(安定とも言えるか)には死の匂いが漂うが、混沌(不安定)の中には生命の本能を感じる。われわれは摂取し、排泄し、細胞は死に、細胞は再生、新生する。それが生きることだろう。化学的に見ると、われわれは一瞬一瞬更新されている。常にどこかへ向かう途中の存在なのだ。
生命に宿る目には見えない力にわれわれの祖先は惹かれてきた。それが生物と無生物を分けると考えたのだろう。この生をより力強く前に進めるものだと考えたに違いない。ヒポクラテスはそれを生命力と言い、18世紀のバルテは生命原理と言った。20世紀に入り、ベルグソンが生命の飛躍(élan vital)と名付け、生命の進化を哲学した。しかし、これは精神の世界に属する概念で、科学の領域には存在しない。ところが、彼らを超えてこの生命力が物質にも宿ると考える人たちがいた。錬金術師である。
錬金術は古代、金属を扱う中から生まれた秘儀。錬金術師たちは怪しげな実験をし、その成果を暗号化された言葉で受け継いでいった。彼らの目的は「賢者の石」を探し、鉛や水銀を金に変えること、「生命のエリクシール」を作り永遠の生を獲得すること。智慧や永遠の生の根源に迫るには、物質の深奥にまで入らなければならないと彼らは考えていた。今では完全に過去のものになった考えと技術であるが、誕生当時の紀元前5世紀にはエジプト、ギリシャ、メソポタミアの文明圏で一般に行われ、後のイブン・スィーナー(Avicenne, 980-1037)、イブン・ルシュド(Averroès, 1126-1198)、ロジャー・ベーコン(Roger Bacon, 1214-1294)、パラケルスス(Paracelse, 1493-1541)、ニュートン(1643-1727)などの心を惹き付けた。忘れてならないのは、化学の元には錬金術があり、現在でも使われている試験管、濾過器などの実験器具や蒸留、濾過などの実験技術は錬金術から提供されたことだろう。
現世的な利益に結びつくこの技術には多くの胡散臭い人間が寄ってきた。しかし、真の錬金術師たちが最も興味を持ったのは魂の変容であった。錬金術の中核を成すのは精神的儀式であり、智慧に向かう道であった。謙虚さと誠実さこそが最高の智の境地に導くもので、そこで初めて賢者の石を手にすることができ、変容を実現することが可能になるとされた。そこに至るために、悩み、畏れ、疑い、激情などを持つ存在全体を働かせ、その上で、自らを超越するものを理解し、至高の智に至るための物質の研究に打ち込んだ。錬金術の進歩は知識の量よりも錬金術師の人間としての質によるところが大きいと考えられていた。この術は存在そのものの変容と深く関わっていたのである。
錬金術
これは余談になるが、今日の絵を見つけてから何か不思議な感じがしていた。
どうも初めて会ったような気がしないのである。
早速画家を探し、その作品群を眺めている時、やはり今回が初めてではないことに気付く。
ブログを検索したところ、予想通り出てきてくれた。
この画家の作品を記事にしていたのだ。
おまけに今日の絵まで取り上げている。
すっかり忘れていたが、記事を読むと当時(と言ってもまだ1年前)のことが蘇ってくる。
嬉しい再会であった。
2009-05-21 アドリアン・ファン・オスターデという画家