ジャン・マリー・ペルトさんのお話を読む Jean-Marie Pelt |
静かなソワレ。バルコンに出て、世界の創世についての対談本にあった植物学者にしてエコロジストのジャン・マリー・ペルトさん(Jean-Marie Pelt, né le 24 octobre 1933)のお話を聞く。
Le monde s'est-il créé tout seul ? (Albin Michel, 2010)
この本に参加している科学者6人の中で、唯一キリスト教を信じている方になる。
印象に残ったところを以下に。
フランスでは科学者が宗教を信じているとなると、反啓蒙主義者(obscurantiste)の烙印を押される。科学の書ではない聖書を読むという行いには、どこかラ・フォンテーヌの寓話を読む状況に近いものがあると考えている。動物が話し合うという常識では考えられないことが起る中に道徳的な寓意が込められているように、聖書の中にある深い意味に彼は興味があるようだ。
科学はある現象の目的についての答えを出せない。目的は科学の営みから排除される。科学ができる範囲で解析し、その範囲を超えるものは科学者の頭の中には存在しなくなる。彼は科学者であるのでこの立場を受け入れながら、もう一方の極にも足を置く。科学者は帰納法や演繹法の論理に生きる言わば左脳の人たち。しかし、直観、情緒、感受性の右脳も使うべきではないか。
ダーウィンは人生の終わりを迎え、二つの悩みを抱えていた。一つは信心深かった妻と彼の考えの大きな乖離。もう一つは彼の内面が砂漠のように無味乾燥としたものになっていると感じたことである。彼の脳が完全に左脳化し、詩も芸術も音楽も味わうことができなくなっていた。それは現代の科学の姿そのものかもしれない。われわれは最早、賢者の世界ではなく、技術者の世界に生きざるを得なくなっている。19世紀ドイツの大化学者ユストゥス・フォン・リービッヒも同様に、人生の最後に自分は間違っていたのではないかと考えるに至った。余談だが、ウィキによると彼は昨日取り上げたフンボルトの支援でパリに留学している。
今や若い人は遺伝子しか扱わなくなった。そのため、伝統的な動物学や植物学が衰えている。ペルトさんはエコロジストでもあり、還元主義の科学を批判的に見ている。人間そのものを自然の中にある生き物として捉える目が失われていることを憂いている。30年前にメスにヨーロッパ・エコロジー研究所を創設し、植物学、植物生理学を大学で教えている。