自分の声を聞いてみれば |
初日からやっていたようだが、今日初めてフランス語のラボに顔を出してみた。発音のお勉強である。自慢ではないが、これまで一度も意識して発音をやったことはない。とにかく如何にミニ・メモワール、メモワールを書き上げるかだけに意識が行っていて、フォネティックはどうでもよいという考えになっていた。文系の大学院という環境に入ったため、論文に注意が集中していたのは致し方なかったかもしれない。
初めてのラボでの大発見、それは発音が全くなっていないこと。自分ではその通りやっているつもりが、先生からの反応はNon!の連続。なぜそれがNon!なのかわからないという状態が続いた。しかし、録音されたものを聞いてみると、これでは駄目だと思わずにはいられなかった。声を出す時に著しい省エネをやっているのだ。発音のために動かすべき口や舌を動かさずに、その音を出したつもりでいる。これまで私が話し始めるとなぜ教授連中が眉間に皺を寄せるのかがよくわかった。駄目さ加減はわかったが、その矯正となると相当のことを意識してやらなければならないだろう。
今日の写真は先日街で出会ったトランペットのイブラヒム・マールーフさん。
トランペットの名手モーリス・アンドレの弟子である父親に7歳から手解きを受ける。クラシックだけではなく、現代音楽、さらにはアラブの音楽と幅広く学び、現在は自らの根にある音楽を中心に展開している印象がある。聞いていると瞑想に誘われる。彼の世界を味わいながら、フォネティックをどうするのか考えてみたい。