英語のご飯にフランス語のふりかけ、そしてブログが齎してくれるもの |
先日セミナーをしたボストンのフォン・べーマーさんとの会話ではっとした瞬間があったことを思い出した。
その時、彼は私の言葉に、それ何のこと?という反応をした。以前にも触れたが、こちらで英語を話す時にはフランス語のスイッチが完全にオフになっていないようである。その時、「理論家」のことを、ほとんど無意識に " théoricien " と言っていた。それがフランス語だとは彼の反応を見るまで気付かなかった。慌てて英語を探したが咄嗟に出て来ず、仕方なく説明することになった。
彼の頭の中は手に取るようにわかる。それはフランス語を始める前の私の頭の中を想像すればよいからだ。頭全体が英語一色になっている中で、全く聞きなれない異物が入ってくると本当に目立つのである。その人の英語はまだまだだなということになる。現在の頭の中は英語とフランス語が混じり合って同じ平面にあるようなものなので、どれが異物かすぐに判断できなくなっているのかもしれない。そして、その状態を好ましく思っているのかもしれない。この比喩が適当かどうかわからないが、均一な社会に異質な人が入ってくるとすぐにわかるが、多様な社会では異質が当たり前のようになっているので識別感度が鈍っている可能性がある。
先日の記事 「ボリス・シリュルニク / エドガール・モラン対談を読む」 のために、モランさん関連の記事をこのブログで検索してみた。その時、やっとこの場所を客観的に見ることができるようになってきたと感じていた。今でも基本的にはその日その日で追われているが、マスターの時のようなことはなくなっている。
前ブログのハンモックの方は、その場を離れてからもよく訪れている。5年ほど前にこちらに来た時に Bnf であったサルトル展のことを思い出し、その記事(2005年6月20日)を読み直してみた。その中にサルトルについての思い出と作品の評価を何人かが語っているビデオがあるので行ってみるとまだ見ることができる。暇にまかせて、すべてを味わってみた。5年前よりは聞き取れるようになっていると思いたいようであった。5年前にも、「いずれ」 じっくりと読んでみたいものである、と書いてある。この常套句が現実になるのはいつだろうか。
Entretiens はこちらから。
このように過去を読み返し、そこから新たな繋がりを探していくという作業が加わると、今まで死んでいるように見えたものが息を吹き返してくる。ブログの奥にあるものを探る愉しみを覚えると、この営みはとてつもなく大きなものを運んできてくれそうである。