Adam Zagajewski "Unseen Hand, Work in Progress" at AUP |
アンヴァリッドやグラン・パレを左右に眺めながら広い空間を歩くのは気持ちがよい。アメリカン大学 (American University of Paris: AUP) には朗読会が始まる少し前に辿り着く。受付にあるポスターを見て、まだ発表されていない作品の紹介が中心になることを知る。会場では本の展示のために来ていた書店の店主と再会。昨日の写真はそこでお願いしたもの。ワイン、チーズ、フルーツなどを味わってからゆっくり会は始まった。
アダム・ザガイェフスキさんの紹介は、アン・アティック (Anne Atik) さん。この方のご主人が芸術家で、50年代にサミュエル・ベケットと親交があり、ベケットの伝記を書いている。
How It Was: A Memoir of Samuel Beckett (Anne Atik)
お話の中でザガイェフスキさんの詩を何度か引用していたが、時に感極まることがあった。評論家の仕事は他人の作品を批評したり批判を加えることではなく、死人を蘇らせることである、という言葉が印象に残った。
ザガイェフスキさんの朗読はほとんどが英訳されたもので、一つだけ母国語でのものがあった。父親を謳ったもの数編、母親のもの1編を含む15-6編を言葉の余韻を楽しむように、音楽を奏でるようにゆったりと読み上げていた。早くに亡くなった母親に言った一言を悔いる詩もあったが、父親についての作品が印象に残った。
エンジニアだったこともあり、実証主義的で(ウィーン学団という言葉も出ていた)厳密な思考をする父親は、絵画を愛し、回想録などを読むことを楽しみにしていた正直な人だったという。それが記憶を失い、相手を識別できなくなる。そして徐々に徐々に死に向かっていく姿を何もすることができず、ただ眺めている様子が描かれていた。エンジニアから見ると詩は厳密さを欠くものとして映っていたのだろうか。"slight exaggeration" があるとやや皮肉交じりに語っていたようだ。その言葉が何度も、ゆっくりと、やはり自嘲を込めてザガイェフスキさんから出てくると、会場からは笑いが漏れていた。
1時間半ほどの会が終わり、ザガイェフスキさんと言葉を交わす。昨年クラクフを訪れて彼を発見した過程や印象に残っている言葉を記憶を頼りに語りかけると、驚いたようでもあり、嬉しそうでもあった。お昼に仕入れたばかりの詩集2冊に彼の言葉を記していただいた。
ところで会場になったアメリカン大学。住宅街に隠れるようにあるこじんまりした佇まい。私がこちらでの生活を考える過程で、一瞬だがこの大学のことも頭に浮かんだことを懐かしく思い出していた。帰りは雨模様。明るい時に見たグラン・パレ方面の景色も別の趣を湛え、トリコロールが光輝き、浮き立って見えた。