殿村菟絲子という俳人 Toshiko Tonomura |
メトロでこの景色に出会う。詩の一節か、俳句だと思い、帰って調べると、難しい漢字の俳人が現れた。明治38年(1908)東京に生まれ、平成12年(2000)に没した殿村菟絲子さん。
J'arrose
pensant pouvoir
vivre encore
Toshiko Tonomura
花(植物)に自らを託し、もっと生きることができないかと思いながらそこに水をやっている光景が浮かんでくる。彼女が作った元の句を知りたくなり、ネットで200サイト以上当たってみたが、それらしいものは見つからなかった。その道すがら彼女の句を拾い集めていた。
パンジーの顔顔何を喝采す
新茶汲みたやすく母を喜ばす
鮎落ちて美しき世は終りけり
あだし野や首の重たき曼珠沙華
枯るるなら一糸纏はぬ曼寿沙華
秋の蚊の一つの声や傘ごもり
加留多歌老いて肯ふ恋あまた
原爆忌老女も靴を履くあはれ
母菩薩春日に白髪抜き奉る
引く汐に遅れ蛤走りけり
赤蜻蛉探し求めて弾き合ふ
竜胆の花暗きまで濃かりけり
残菊に犬も淋しき顔をする
けまん群れ墓石の如く壁炉冷ゆ
男の傘借りて秋雨音重し
油蝉ひとつといふは静かなり
東伯林の新樹下を人近づき来
雛菓子を買はざるいまも立停る
中年の結城ばさばさ金木犀
獅子舞の骨まで崩し伏せりけり
淡墨桜聴けば快楽の日もありき
枯れてより現し世永しうめもどき
白息を雲のごと吐き杉磨く
朱の帯生涯似合へ吾亦紅
口あけて通草は泣けり霧の中
鯉幟なき子ばかりが木に登る
手放しに命は惜しめ寒波来る
誰も来ぬ三日や墨を磨り遊ぶ
終焉の海へ桜の幕降ろす(西東三鬼氏を悼む)
先に寝し顔のかなしき夜長の灯
初旅にすぐ艶歌師の恋の唄
命あるものに触れたき牡丹雪
あぢさゐに倖の色つひになし
朱の帯生涯似合へ吾亦紅
三寸のお鏡開く膝構ふ
涼しさは寂しさとなり糸すすき
林檎磨き路傍かゞやく文化の日
極月の不況あざむく蘭の束
情もろく足弱くなりしスキー履
神の前罌粟一つ散り一つ燃ゆ
幸不幸葱をみぢんにして忘る
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(21 mars 2010)
冒頭の句の日本語が明らかになった。その経過はこちらから。
水打って残るいのちと思ひけり 殿村菟絲子