フランス語を少しずつ、そしてデュ・ベレーが蘇る Joachim du Bellay |
本日は快晴。しかし、このところ風が冷たい。
相変わらずの寝不足だが、読んだり、書いたり、プロジェを考えたりしながら過ごす。
それから学校のフランス語も少しやる。こちらの方は文学系だが、どうして次から次に知らない言葉が出てくるのかとただただ感心。完璧主義者であれば、体がもたないだろう。学校は何気なく行っているが、聞き取りあり、宿題あり、試験あり、エッセイの課題ありで、なかなか忙しい。それだけこちらが反応せざるを得ない状況にいるので、長い目で見ると少しは効果があるのかもしれない。
教科書の中に、その昔拾った16世紀の名前を発見するのも懐かしく、嬉しいものである。
ジョアシャン・デュ・ベレー Joachim du Bellay (1522 - 1er janvier 1560)
最初は彼の "Heureux qui, comme Ulysse, a fait un beau voyage..." という詩に反応し、後にフランス語を創った5人に入っていることを知った。
Heureux qui, comme Ulysse...
Heureux qui, comme Ulysse, a fait un beau voyage,
Ou comme cestuy-là qui conquit la toison,
Et puis est retourné, plein d'usage et raison,
Vivre entre ses parents le reste de son âge !
Quand reverrai-je, hélas, de mon petit village
Fumer la cheminée, et en quelle saison
Reverrai-je le clos de ma pauvre maison,
Qui m'est une province, et beaucoup davantage ?
Plus me plaît le séjour qu'ont bâti mes aïeux,
Que des palais Romains le front audacieux,
Plus que le marbre dur me plaît l'ardoise fine :
Plus mon Loir gaulois, que le Tibre latin,
Plus mon petit Liré, que le mont Palatin,
Et plus que l'air marin la doulceur angevine.
Joachim DU BELLAY, Les Regrets (1558)
幸いなるかな、ユリシーズのように ・・・
ジョアシャン・デュ・ベレー
幸いなるかな、ユリシーズのように、さてはまた、
金羊毛を獲得したあの男のように、みごとな旅をした者は、
そのあとで、経験と分別をたっぷり具え帰郷して、
余生を、肉親たちのなかで過ごせる者は!
ああ、いつの日に私はふたたび見るのだろう、私の小さな村の
暖炉から煙が立つのを。そしてまた、いかなる季節に、
ふたたび見ることであろうか、貧しいわが家の農園を、
あれは私にはひとつの王国、いや、それ以上なのだけれども?
ローマびとの宮殿の威圧的な正面に比べても、
私には、自分の先祖が建てた住居のほうが好ましく、
頑強な大理石よりも、きゃしゃなスレートのほうが、
ラテンのティベール河よりも、わがゴールなるロワール河、
パラティヌスの丘よりも、わがささやかなりレの村、
海の気よりも、アンジュー地方の甘やかな風が好ましい。
(『フランス名詩選』 より、入沢康夫訳)